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【『もやしもん+』連載開始記念】『もやしもん』で沢木が美里たちの部屋で見た「C.シネンシス」は本当にOphiocordyceps sinensis なのか?

一週間ぶりにこんにちは。うるくとと申します。

先週の記事に引き続き、今回の記事も生物学類アドカレに参加しております。

【生物学類アドベントカレンダー】

私は毎週火曜更新にしております。とりあえず二週目にして即挫折は避けられました。

【前日の記事はこちら】

カギムシ、汎節足動物の文脈で触れることがあっても、カギムシそのものの系統や多様性は知らなかったので驚きがありました。
カギムシ、進化のロマンもあっていいですね。

ではでは前置きはこの程度にして、本題の方に入ってまいりましょう。


はじめに: 『もやしもん』とは?

ご存じの方も多いでしょうが、『もやしもん』(作: 石川雅之)は月刊モーニング(現在は廃刊、悲しい……)にて2004年から2013年まで連載されていた漫画であります。
あらすじとしては、「某農大」を舞台に、「菌が見える」特殊能力を持つ大学1年生・沢木惣右衛門直保(主人公)をはじめとする個性豊かなキャラクターたちが繰り広げる「ミニマムな団体劇(作中でそう言われていた)」……とでもなりましょうか。

主人公・沢木の「菌が見える」という能力ゆえに、作中には多種多様なウイルス・細菌・真菌が独特のデフォルメされた姿(沢木にはこの姿で見えている)で登場しており、本作の顔(?)のニホンコウジカビこと Aspergillus oryzae の姿は見たことがあるよ!という方も少なくないのではないでしょうか。

このように、お世辞にも知名度が高いとは言えない微生物学・農学・醸造学・菌学などなどを主題に据えた本作ですが、なんと二度のアニメ化・実写化を果たすほどヒットしました。
このことは、日々普及活動に苦心しているこれらの関係者へのまたとない福音となり、今もなお日本菌学会をはじめとした諸学会に引っ張りだこであります。

ウイルス・細菌・真菌という本来全く異なる生物(ウイルスは非生物ですが)が一様に扱われているという問題(※1)も個人的には感じておりますが、依然本作を超える菌学漫画が出ていないことを踏まえても、『もやしもん』の偉大さには感服するほかありません。

そんな『もやしもん』が2013年に惜しまれながらも連載終了した後、もやしもんファンおよび普及教育に燃える菌学関係者にとっては長く苦しい冬の時代が訪れました。

しかしなんとこの度、「月刊アフタヌーン」2025年1月号より続作『もやしもん+』の連載開始が発表されたのです!

小学生の頃に読んで以来のもやしもんファンであり、かつ今となっては菌学を学ぶ身となった私としては、本当に嬉しい知らせでした。

ですので、今回は『もやしもん+』の連載開始を記念しまして、『もやしもん』のあるシーンに登場するある菌についての考察をさせていただこうと思います。
我田引水・牽強付会の拙文ではありますが、最後まで読んでいただければ幸いです。

沢木が美里たちの部屋で見た「C.シネンシス」は本当にOphiocordyceps sinensis なのか?

というわけで、今回議論していくお題はこちらになります。
もやしもんについては色々書きたいことがありますが、やはりここは私が専門としている冬虫夏草類の作中での描写について触れないわけにいかないだろう、ということでこちらのテーマに決定です。

問題のシーン

そもそも、もやしもんを読んだことがあっても、冬虫夏草なんて出てきたっけ?と思っている方も多いやもしれませんので、問題のシーンをまずは見ていきましょう。

問題のシーンは、『もやしもん』というタイトルが確定した(※2)ぐらいには連載初期も初期、第4話にあります。

第4話は、菌が見える新入生が入ったという噂を聞いた美里と川浜が、噂の張本人の沢木を学生自治寮の自室に連れ込み、沢木の能力で一儲けをたくらむ……という話です。

図1 問題のシーン
石川雅之『もやしもん(1)』 講談社刊 2005年 より引用.

もとは日本酒を密造して借金返済を企むも、失敗した経緯をもつ美里と川浜。
ありえないくらい汚ない自室に沢木たちを連れ込み、一儲けの手段を考えますが、全くいい案が出ません。

行き詰まった美里と川浜が罵りあいの喧嘩を始めたとき、ふと沢木が部屋の隅に放置されていたカイコ(虫好きの川浜が、美里にあげたもの)の幼虫の死体の異変に気づいた……というのが上のシーンになります。

疑問

さて、このシーンを見直してみた私の脳内に、2つの疑問が生じます。それはすなわち、

  1. C.シネンシスことOphiocordyceps sinensis (※3) の日本における記録は無いが、それは本当にO.sinensis なのか?

  2. O.sinensis の宿主はコウモリガの仲間だが、カイコにも寄生するのか

というものです。
一つにまとめるならば、「その『C.シネンシス』は本当にC.シネンシスなのか?」ということになります。

ここからは、これら2つの疑問に答える形でこのシーンについて考察していこうと思います。

①O.sinensisが日本に分布してなさそうという問題について

さて、まずはこちらの問題について考えていきましょう。

作中のC.シネンシスこと狭義の「冬虫夏草」(別名シネンシス冬虫夏草) Ophiocordyceps sinensis は、中国のチベット高原にのみ分布する種とされています。

図2 Ophiocordyceps sinensis
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Spaeria_sinensis_(original_illustration_by_Berkeley)_2.jpg より引用
図3 O.sinensisを採集する様子
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Searching_Livelihood_in_the_High_Mountains.jpg#mw-jump-to-license より引用

そんなO.sinensisですが、私の知る限りでは、日本はおろかチベット高原周辺以外からの報告は聞いたことがありません。

実は、多くの冬虫夏草類が高温多湿な環境を好むのに対し、チベット高原という冷涼乾燥した草原に発生する O.sinensis は異端中の異端。
チベット高原と同様の環境がほぼない日本には、自然分布する可能性はかなり低いと思われます。

ゆえに、もやしもんに登場したこの『C.シネンシス』が本当にC.シネンシス(=O.sinensis)であるかについては、かなり疑わしいと言わざるを得ません。

最後に残されたギリギリありうる可能性としては、はるばる中国から飛んできたO.sinensisの胞子が、日本の美里・川浜の部屋の幼虫に感染したという可能性です。

可能性は低いと思いますが、菌類は胞子で自らの子孫を広げますので、胞子が遥々中国から飛んできてもおかしくはありません(※4)。

という訳で、可能性はごく低いが無いとは言えないこの仮説について検討するために、2つ目の疑問に移りましょう。

②O.sinensisがカイコには寄生しなさそうという問題について

ここから議論していく、2つ目の疑問点がこちらになります。

これを議論するにあたり、まず前提として、多くの冬虫夏草類は宿主特異性が高いということが重要になってきます。
「宿主特異性が高い」というのは、すなわち特定の種の宿主にしか寄生しないということになります。

たとえば、"zombie ant fungi (ゾンビアリ菌)"としても有名なタイワンアリタケの仲間では、アリの種が変わると寄生する冬虫夏草菌側も別種になるという、極めて高い宿主特異性があることが知られています(※5)。

図4 日本産の"zombie ant fungi"の1種、タイワンアリタケ O.ootakii

O.sinensisもこれらの例に漏れず、コウモリガの仲間にしか寄生しないようです。
すなわち、もやしもんの問題のシーンに登場している幼虫がカイコならば、O.sinensisは寄生できない(※6)のではないでしょうか。 

すなわち、O.sinensisはカイコには寄生できない=カイコの幼虫に寄生しているこの「C.シネンシス」はO.sinensis以外の何か、ということになります。

さて、こうしてめでたく(?)、『もやしもん』第4話に登場する「C.シネンシス」はC.シネンシス=O.sinensisではないということが言えそうになってきた……と思いきや、確認のためにこのシーンの前後を読んでいた私はとんでもない思い違いに気づいてしまいました。

この幼虫、カイコじゃない!?

そう、昔に読んだ曖昧な記憶を元にここまでの議論を進めてきた私は、とんでもない思い違いをしていたのです。
それは、問題のシーン(図1)に登場している幼虫が、カイコではない可能性があるということでした。

一体どういうことなのでしょうか。
このシーンの少し前、美里と川浜が罵りあいの喧嘩を始めたシーンから、重要なセリフを抜粋します。

川浜
「お前に前 カイコの幼虫やっただろ」
「あれで絹をつむいで売れば……」

美里
「コレか?コレがお前のくれたカイコか?」
「コレ ただの蛾やったやないか!」
「もう皆死んだわ!」

石川雅之『もやしもん(1)』 講談社刊 2005年

もうお分かりですね、件の幼虫はカイコではなかったのです
そうなると、だいぶ話が変わってくるというのが、ここまで読んでいただけた皆さんにはお分かりかと思います。

ではこの幼虫は、何の幼虫なのでしょうか?
形態的な特徴から、この幼虫はコウモリガの幼虫であると私は思います。

見た目以外にも、根拠はあります。
それは、コウモリガの幼虫が、植物の茎に穿孔するという(少し変わった)生態をしているという点です。
このことから、カイコと同様の飼育方法では死亡する個体が多数出ることが予想できます。

実際、カイコ用の人工飼料を用いて飼育を試みた例(※7)では、死亡率が高いという結果が出ています。これもまた、作中の描写とピッタリあう事実です。

超のつく虫好きである川浜が、カイコとコウモリガを間違えるというありえないミスをしているというのは、にわかには信じがたい事実です。
しかし、原作から読み取れる事実は皆、件の幼虫がコウモリガの幼虫であることを指し示しているわけです。

きっと川浜は鱗翅目にはあまり詳しくなかったのでしょう。現実世界の虫屋でも、昆虫すべてに通じている人は多くありませんし。

さて、この幼虫がコウモリガの幼虫だとすると、2つ目の疑問は前提からひっくり返り、意味の無い問いだったことになります。

しかし、宿主特異性に注目するというのは悪い考えではないように思えます。

そう、宿主特異性というものについて、もう少し細かいレベルで見ればよいのです!

日本産のコウモリガ類は、O.sinensisの宿主になり得るのか?

コウモリガ↔カイコよりももう少し詳しいレベルでの宿主特異性、すなわちコウモリガの仲間の中での宿主特異性に注目すれば、解決の糸口が見えてきそうです。

というわけで、日本に分布するコウモリガの仲間について調べ、次にそれがO.sinensisの宿主になりうるのかについて調べていきます。

まず、日本産のコウモリガ科については、「みんなで作る日本産蛾類図鑑」という素晴らしいWebサイトに一覧が載っていますので、これを参考にしていきます。

ここにリストアップされているのは、6属9種。
そのうち、「某農大」が位置していると考えれる本州の低地で、比較的普通に見られる種のみに対象を絞ると、コウモリガ Endoclita excrescensキマダラコウモリ Endoclita sinensis の2種のみに絞り込めます。
(鱗翅には詳しくないので、間違っていたらゴメンなさい)

さて、では次にこの2種がO.sinensisの宿主になるかどうかについて調べていきましょう。
O.sinensisの宿主範囲についても、よい総説(※8)が出ていますので、こちらを見ていきます。

図5 Endoclita excrescens (一番上)と  Endoclita sinensis (一番下)に注目. "N"、すなわちnon-hostとなっている
Wang XL et al. 2011 より引用

すると、なんとコウモリガもキマダラコウモリも「non-host」、すなわち宿主ではないとされているではないですか!

これはめでたい。少なくとも、『もやしもん』の問題のシーンに登場しているコウモリガの幼虫には、O.sinensisは寄生しないということが明らかになったわけです(※9)。

ここまで長い長い議論をして参りました。
ほとんどの読者の方は途中で振り落とされてしまった気もしますが、いよいよグランド・フィナーレと参りましょう!

結論

『もやしもん』で沢木が美里たちの部屋で見た「C.シネンシス」は、C.シネンシス、すなわち Ophiocordyceps sinensis ではない。

ではこの「C.シネンシス」は何者なのか?

この「C.シネンシス」が真のC.シネンシス、すなわちO.sinensisでないとすれば、一体何者なのでしょうか?
読者の皆さんも気になって仕方ないと思います。

ここでは、結びにかえて『もやしもん』に登場した「C.シネンシス」の正体について考えていきたいと思います。

注目すべき点は、沢木の能力にあります。
(広義の)菌類が見えるという沢木の能力ですが、作中での描写を見ていると、系統的に近い種どうしは似たような外見に見えているのでは?ということに気づきます。

具体例としては、冒頭でも紹介したニホンコウジカビ A.oryzaeを初めとする、Aspergillus属の種たちがあげられます。
これらのAspergillusの面々は、連鎖した分生子(?)の形態が違う程度で、非常によく似た見た目をしています(図6)。

図6 『もやしもん』に登場するAspergillus属菌たち. A: A.oryzae B: A.sojae C: A.nigar
石川雅之『もやしもん(1)』 講談社刊 2005年 より引用

これらのことから、沢木には系統的に近縁な種どうしは似たような見た目で見えているという仮説が立てられます。

この仮説に基づけば、この「C.シネンシス」の正体も探れるはずです。

沢木が件の幼虫を見て「冬虫夏草だ!」と言えた理由として、幼い頃に隣人が漢方薬として購入していた冬虫夏草(= O.sinensis)を見ていた、という描写があります。
すなわち、本物の「C.シネンシス」ことO.sinensisに近縁な別種が美里のコウモリガの幼虫に寄生しており、それを沢木は「C.シネンシス」だと勘違いした、と考えられるわけです。

ここまで来ればもうあと少しです。

つまり、①系統的にO.sinensisに近縁で、②コウモリガの幼虫に寄生し、③日本で見られる冬虫夏草、それがこの「C.シネンシス」の正体です。

その冬虫夏草とはつまり……



イタドリムシオオハリタケ(ボクトウガオオハリタケ) Ophiocordyceps macroacicularis です! 

本当の結論-『もやしもん』に登場する「C.シネンシス」はイタドリムシオオハリタケ O.macroacicularis だった

図7 イタドリムシオオハリタケ O.macroacicularis. 

イタドリムシオオハリタケ O.macroacicularisは、多くの分子系統解析によってO.sinensisと近縁であることが支持されています(※10)。
さらに、本種はイタドリ等に穿孔するコウモリガの幼虫を宿主としており、やや稀であるものの日本各地で発見例があります。

これは、さきに挙げた「C.シネンシス」の正体になりうる3つの条件を全て満たしています。
さらに、(私の調べた限り)この3つの条件を満たす、他の種の冬虫夏草は存在しません。
このことからも、『もやしもん』に登場する「C.シネンシス」の正体は、イタドリムシオオハリタケ O.macroacicularis だ!と言っていいでしょう。

この結論に基づくと、問題のシーンに至るまでの描かれなかった物語が想像できます。

まず川浜が、おそらく「某農大」の近くのイタドリ群落で、イタドリの根茎を割ると中から大きなイモムシ、つまりコウモリガの幼虫が出てくることに気づいたのです。

しかし、残念ながら鱗翅には疎かった川浜は、この幼虫をカイコだと勘違いして、美里に「カイコ」だとして渡します。
おそらく、このときに渡された幼虫の中に、既にイタドリムシオオハリタケに感染した個体が混じっていたのではないかと、私は思います。

さて、川浜から幼虫を渡された美里ですが、カイコだと思って飼育するも、当然うまくいかず、幼虫は次々に死んでいきます。

そして時は流れ、冒頭で紹介した話の流れがあって美里と川浜の部屋に沢木がやってきて、死屍累々のコウモリガの幼虫の中から、ボクトウガオオハリタケに感染した死骸に気づくわけです。「C.シネンシス」だと勘違いして。

これが問題のシーンに至るまでの全容です。
いや~、本当に長かったですね!

さいごに

前々から、友達同士の会話でネタにしていたこのテーマ。
アドカレに合わせて何となくの軽い気持ちで描き始め、気づけば8000文字弱という、なかなかの大作になってしまいました。
これもまた、『もやしもん』という不朽の名作がなせるワザでしょうか。

こんなことに熱意をかけるやつもいるんやな~と思って、『もやしもん』を読んだことがある方も、未読の方も楽しんでいただけたら何よりです。
また、本稿で『もやしもん』の面白さについてお伝え出来た自信は全くありませんが、『もやしもん』は本当に面白いマンガなので、ぜひ読んでください!よろしくお願いします。

うるくと
美里よりも歳上になってしまったことに愕然とする3回生の冬、つくばにて

脚注

(※1) ただし、巻末のおまけマンガにてこの話は触れられている
(※2)第一話時点でのタイトルは『農大物語』だった
(※3)狭義の冬虫夏草(C.シネンシス)は、かつてCordyceps sinensisという学名であったが、2014年にOphiocordyceps sinensisという学名に改称された
(※4)冬虫夏草ではない別の菌類での研究例だが、ある菌の胞子をイギリスから飛ばしたところ、2週間後には北海を渡りデンマークまで到達したという報告がある
(※5) Araújo JPM, Evans HC, Kepler R, Hughes DP. Zombie-ant fungi across continents: 15 new species and new combinations within Ophiocordyceps. I. Myrmecophilous hirsutelloid species. Stud Mycol. 2018 Jun;90:119-160.
(※6) 厳密には、宿主を殺すまでは至ったが子実体を発生させられなかったというケースや、たまたま腐生的に出現したというケースが考えられるが、可能性は低いと思われる
(※7) 北島 博, 菅 栄子, 槙原 寛, 人工飼料によるコウモリガ幼虫の飼育, 日本森林学会誌, 2006, 88 巻, 3 号, p. 192-196
(※8) Wang XL, Yao YJ. Host insect species of Ophiocordyceps sinensis: a review. Zookeys. 2011;(127):43-59.
(※9) ただし、先の総説は過去の文献等に基づいて宿主としての記録がないことのみを示しており、また自然宿主でない生物が人工的な環境で宿主になることはありうる点に留意が必要
(※10) 例えば、Dai, Y., Chen, S., Wang, Y. et al. Molecular phylogenetics of the Ophiocordyceps sinensis-species complex lineage (Ascomycota, Hypocreales), with the discovery of new species and predictions of species distribution. IMA Fungus 15, 2 (2024).

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