
#94 石棒の日
本日11月11日は、ポッキーの日だそうだ。細長い棒が四本並んだ姿から記念日としたそうだが、同じ理由で実は石棒の日でもある。石棒(せきぼう)とは、縄文時代の磨製石器、石製品であり、男性器を模したとされることから男根形石製品と呼称する向きもある。ただし、実際に縄文人が男根を模したとする証拠はなく、現代人の我々が男性器を彷彿としているにすぎない。男根形石製品ではなく、石棒と呼称される所以である。
石棒は縄文時代中期頃から本格的に作られ始め、当初は大形石棒と呼ばれる長さ1m以上、太さ20㎝近いものが主流となる。日本最大の石棒とされる長野県佐久穂町の「北沢の大石棒」は、全長2.23m、直径25㎝を測り、見上げるほどの高さである。しかし、現在の直立した姿は、大正年間に発見された後に立てられたものであり、縄文人がどのように使っていたかは定かではない。実際の発掘調査において直立して出土する石棒は極めて僅少であり、包含層中から横倒しで見つかることがほとんどである。たまに配石や土坑などの遺構に伴うものもあるが、頭部を斜め下に向けて見つかる事例が多いことも知られている。
縄文時代後期以降になると、小型化・精緻化するとはよく言うが、中期以来の大形石棒と後期以降の細形石棒が同じ系譜に連なる石器かどうかは確認されていない。その中間形態を示すような資料もほぼないし、後期前葉には大形石棒と細形石棒が併存することも珍しくない。細形石棒は長さ20~30㎝程度のものが主流であり、厚さ数㎝で表面には文様が彫刻されることが多くなる。大形石棒にも彫刻される資料がないわけではないが、ほとんどは無文である。
細形石棒には、石剣・石刀とも呼ばれる刀剣形石製品というバリエーションがあるが、これらは刀剣形であって刀剣ではない。大形石棒ともども日常生活に使用する実用品ではなく、何らかの祭祀的道具、儀器であろうと考えられている。ただし、本当のところは分からない。火を受けた痕跡が顕著であること、割れて見つかることが多く、完形品は少ないことが知られる。細形石棒にも被熱痕が見られるものがあるが、大形石棒には特に被熱痕が多く、火を介在させた祭祀行為が想定されている。筆者のよく知る考古学者W先生(故人)は、「火であぶって割るんやー」と言っていた。
