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#108 チョコレート史話
2月14日は聖バレンタインの日とされ、我が国ではチョコレートが最も売れる一日でもある。ここではチョコレートの歴史について寸言したい。
紀元前から中米ではカカオが栽培されており、スペインによる征服前のアステカでは税として納められていたことが分かっている。カカオをすり潰したもの(カカオマス)を発酵させ、水や湯に溶かしたものに香辛料や調味料を加えて嗜好品や薬用として飲用していた。これには強い覚醒作用があり、カカオの学名テオブロマはギリシャ語で「神の食べ物」の意である。
コロンブスやアコスタにより紹介されているが、やがてスペインの修道士たちによってスペイン宮廷に持ち込まれ、嗜好品として上流階級で流行した。中南米植民地においてアフリカ奴隷を酷使したプランテーション栽培を始めており、かかる伝統は今なお国際問題として生き続けている。なお、チョコレートは英語だが、スペイン語のチョコラテ、フランス語のショコラとして知られる。アステカの人々(ナワトル語)によってカカオ飲料はカカワトルあるいはショコラトルと呼ばれており、これが語源とされている。
17世紀前半、フランス王ルイ13世がスペイン王女アナ・マリーア・マウリシアと結婚すると、フランス宮廷にもチョコレートがもたらされた。ルイ14世もスペイン王女マリア・テレサと結婚したため、フランスでは上流階級からチョコレートが広まった。17世紀後半にはイギリスにも伝わり、ロンドンで最初のチョコレートハウスが1657年に開店している。
1828年にはオランダのバン・ホーテンが、カカオ豆からココアパウダーとココアバターを分離製造する方法を発明し、口当たりがよくなり普及が進んだ。というのも、カカオマスは脂肪分があまりに強く、水で薄めないと食用にはできなかったのである。1847年にイギリスのジョセフ・フライは初めて固形チョコレートを作り、1849年にキャドバリー兄弟により引き継がれた。
それでもまだ苦味が強すぎたが、スイスのダニエル・ペーターは粉乳を入れる方法を発明し、1875年にミルクチョコレートの販売を始めた。また、ミルクチョコレートの製造には、牛乳から水分を抜く必要があったが、ダニエルは隣りに住んでいたアンリ・ネスレと協力して研究を行ったという。同じくスイスのロドルフ・リンツはチョコレートの粒子を均一かつ細かくし、滑らかな食感を出す方法を考案した。バン・ホーテン、キャドバリー、ネスレ、リンツは創業者を社名に現存している。
日本におけるチョコレートの初現は、寛政9年(1797)の『長崎聞見録』であり、削ったチョコレートを湯に溶かし、砂糖などを入れて薬用として飲む「しょくらあと」の記事がある。長崎の遊女がオランダ人から貰ったものであるという。国産チョコレートは明治11年(1878)、両国若松風月堂で発売されている。カカオ豆からの一貫生産は大正7年(1918)、森永製菓によって開始された。ベルギーの老舗チョコレート店ゴディバの創業が1926年であるから、我が国のチョコレート産業を卑下する必要はない。