
#111 籬の花
前回のNHK大河ドラマ「べらぼう」で蔦屋重三郎が作り上げたのが、新吉原細見『籬の花』である。史実として安永4年(1775)に出版されている。籬(まがき)とは間垣でもあり、竹や柴などを粗く編んだ垣根の意であるが、ここでは遊郭の見世(みせ)で遊女たちを見るための格子戸のことである。ドラマで前に蔦屋重三郎が作った『一目千本』よろしく、遊女を花に例えている。ちなみに、一目千本とは桜の名所である奈良県吉野山の絶景のことであるが、一目で千本の桜を見るごとく遊女たちのことが知れるという趣向なのである。「花の籬」という言葉もあり、籬のように花が密集している様を表す。掛け言葉が好きな江戸っ子を強く意識した粋な書物にしたかったのであろう。当時お金を持っているのは、身分の高い武士階級ではなく、新興の商人たちである。市井の需要をよくマーケティングした26歳の蔦屋重三郎には、あふれる商才があったというわけだ。
ところで、蔦屋重三郎がどうしても入りたいのが地本問屋の組合(仲間)であるが、地本とは江戸における大衆本の総称であり、物之本ともいわれた書物(仏書・儒書・史書・辞書・医書・古典など)とは区別されていた。書物を扱う本屋を書物問屋といい、書林や書肆ともいった。地本の「地」とは、在地の意であり、江戸で作られ、江戸で流通する本の意味でもある。というのも、当時書物とは上方(京都)が文化の中心であり、江戸前期は上方の本屋が江戸に支店を出し、「下り本」を売るのが常であった。酒も書物も「下りもの」が上等であって、「下らないもの」は忌避されたのである。江戸中期になると、江戸で作る地本が多くなり、地本問屋が増えてくる。江戸の大衆文化も同様に発展してくるのであり、その代表格が耕書堂蔦屋重三郎なのである。なお、蔦屋のライバルとなる仙鶴堂鶴屋喜右衛門は、元は京都の書物問屋であり、本屋としてのノウハウや豊富な人脈を持っていた。