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#114 桃花史話

 三月三日はひな祭りとしてよく知られているが、桃の節供とも呼ばれる。元々は、奈良時代における三月上巳の節供であり、文人貴族たちに愛された曲水の宴が催される祭日であった。上巳は蛇の祭日でもあるが、人形(ヒトガタ)に穢れを乗せて流す祓いの儀式を由来としている。曲水の遣水を蛇に見立てたものかは分からないが、人形は後にひな人形の原型となる。上巳の節供が、桃の節供と呼ばれるようになったのは平安時代以降であり、『枕草子』に「三月三日はうらうらとのどかに照りたる。桃の花のいまさきはじむる」とあるように、桃の花と三月三日との結びつきが窺われる。
 観賞するばかりではなく、桃は花や実、枝葉までもが聖なる樹木であった。『古事記』には、イザナギノミコトが黄泉国へ訪れた際、猛狂ったイザナミノミコトに追われる説話があるが、その際、黄泉比良坂で桃の実を投げつけ、追手から逃れるのである。桃の実が、辟邪の意義を持たされるのは支那伝来の観念であるが、同様に、桃の実は長寿の象徴ともされた。桃源郷というように、桃には不老不死の観念がついて回るのである。我が国における桃太郎の説話も、本来は川から流れ来た桃の実を食べた夫婦が若返り、子供が生まれたとする話が基となっている。
 桃の節供が、穢れを洗い流す祓いの行事であったのも、桃の持つ辟邪の意義と関連があるのだろう。二月三日の節分、あるいは旧暦正月の宮廷行事、追難の儀式においても、桃の枝で作った丸木弓が登場し、鬼を追い払う。ここでも、桃の呪性が意識されていることは言うまでもない。
 桃の花が、観賞用として品種改良されるのは近世以降であり、桃園は花見のために造られたものである。しかし、桃の花を酒に浸して飲めば、病を避けると言われていたことは、古来より受け継がれた桃の呪性の表れであろう。桃花酒は、桃の花と水、麹や米を原料とするものであるが、やがて白酒に転じ、甘酒として現在も飲み続けられている。

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