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#95 柿の話

 今が旬の秋の果物といえば、柿であろう。あまり知られていないが、我が国の国果でもある。柿は古来より日本人に馴染み深い果物であり、特に干柿や熟柿の濃厚な甘味は、砂糖が一般化するまでは貴重な甘味料でもあった。『古事記』や『日本書紀』には記述があるといい、藤原宮(694~710年)の遺跡から柿の種子が多量に見つかったことはよく知られている。平城宮(710~784年)の遺跡からは、柿の値段を記した木簡が発掘されているそうであるから、すでに商品化されていたことが分かる。天平宝字年間(757~764年)の正倉院文書にも「干柿子」を購入した記録があるという。
 菓子(くだもの)の一種として珍重されたが、古代の柿はすべて渋柿であるから生食ではなく、干柿か熟柿(腐る寸前まで熟して渋抜きした柿)である。お湯や酒を使う渋抜き法は、江戸時代以降に開発されたらしい。なお、平安時代以降、小麦粉などを練って揚げた唐菓子(からくだもの)が流行すると、果物は水菓子(みずくだもの)と呼ばれ、徐々に区別されるようになってくる。現在でも室町時代以来の伝統を色濃く残す懐石料理では、デザートのフルーツ類を水菓子(みずくだもの)と呼んでいるが、やがて果物(くだもの)の字を当てられ、菓子(かし)からは除外された。
 柿(カキノキ)は、カキノキ科カキノキ属の落葉小高木であり、東アジア原産の固有種である。現在でも中国・韓国・日本が生産量の大半を占めている。戦国末期、日本へやってきた宣教師たちを通じてヨーロッパへ持ち込まれ、明治以後はアメリカ大陸へも日本から渡っている。学名は「ディオスピロス・カキ」で、「神の食物」の意である。海外でも「カキ」、「カキ・フルーツ」と呼ばれている。
 鎌倉時代の建保2年(1214)、現在の神奈川県川崎市の王禅寺(真言宗豊山派)で渋柿の突然変異による甘柿(不完全甘柿)が発見され、「禅寺丸柿」として広く流通した。筆者が10年近くに亘り発掘調査をしていた神奈川県伊勢原市子易地区は、「子易柿」の産地として有名であるが、これも江戸時代前半に持ち込まれた禅寺丸柿である。江戸初期には、現在の奈良県御所市で樹上で甘くなる完全甘柿が突然変異で生まれ、「御所柿」と呼ばれた。岐阜県本巣郡巣南町で栽培されていた高品質の御所柿は、明治31年(1898)に「富有」と名付けられブランド化されている。ちなみに、『中庸』(礼記中庸篇)の一節、「富有四海之内」から命名したという。もう一つ有名な「次郎柿」は、弘化元年(1844)、静岡県周智郡森町で松本治郎吉により発見された品種で、これも完全甘柿である。

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