ポートレイトを巡る考察と、参考図書。
写真家は時に、被写体に執着する。
執拗に観察し、シャッターを切る。
その動機はなんだ? 原動力はなんだ?
まるで儀式めいた、静かな時間の中で
シャッターの切れる音だけが響く。
瞼が震える、産毛が逆立つ、重心を移動させる、
眉間に皺がよる、ファインダー越しに感じ取る微かな動き、
写真機が捉えうるのは、表層、外見だけだが、
いつシャッターを押すかによって
意味が大きく変わる事がある。
ポートレイトの為だけの時間と場所。
写真を撮られる人、写真を撮る人、二人の間にある共犯関係。
二人にとって確実に特異な体験だろう。
人生でそんな時間を過ごす事はそう多くはないのだ。
「ポートレイト」や「被写体」といった言葉は少し前までは写真に携わる人しか日頃使っていなかった言葉だろう。
最近はすっかり趣味で写真を始める人も増えて、普通に生活していても聞いたり目にしたりする機会が増えたのではないだろうか。
とはいえ、こんな記事を読む人のことだから、きっと写真についてある程度は興味がある人が多いのではないかとは思う。
僕も過去、ポートレイトを撮った事がある。
けれど僕の場合、人を撮る大体のシチュエーションは何か他の目的があって、一緒に行動する人間にレンズを向ける事が多い。
多くの人がスマートフォンで雑記のように撮影するのと同じ動機だ。
僕の場合、少しばかりカメラやレンズが大きいだけなのだ。
それがスナップショットなのか、ポートレイトなのか正直よくわからない。
けれど、そこに個人を特定できる情報がある限り、ポートレイトに近いものなのだろう。
ストリートスナップで様々な人の顔が鮮明に写っていた場合、それをポートレイトだと言うにはちょっと無理があるような気もするが。
新型コロナ蔓延後の日本では屋外を出歩く時、屋内でもパブリックな場所では必ずマスクをつけるもので、殆どの場合において顔の下半分が隠れてしまっている。
もはやこれがポートレイトと言えるのか些か疑問である。
しかし、これはポートレイトだ、と確実に言えるシチュエーションもある。
それは写真家と被写体が共犯関係にある場合だ。
・写真家はレンズを向けシャッターを切る。
・被写体はレンズを向けられ、撮影される事を許容する。
こうやって少し多めにピックアップしてみると、僕の写真はあまり上手ではないのだけれど、考えさせられることはある。
ポートレイトは意外にも、背景や服が重要だと感じる。
この福嶋君の一連のポートレイトの目的はカメラとレンズ、フィルムの相性テストだったのだけれど、その目的は果たせたと思う。
この場合、この時間を頂いた理由はポートレイトの撮影のためではないので無茶は言えないが、正直どうでもいい服装は邪魔でしかない。
服装に見るその人らしさが本当に必要だったか?と言う点については撮影前に考えるべきだろうな。
かと言って全裸になってもらって撮影するわけにもいかず、それは意に反して別の意味が産まれてしまうことになり得る。
足の縦位置の写真とかはちょっとフェチっぽい雰囲気もあるけど、僕にそんな趣味はないんだな。笑
とはいえ、写真は撮影者の意思とは関係なく、見る人に様々な思考や感情をもたらせるものだから、写真に撮って世の中に出してしまえば、全てが自分の思い通りになる訳なんかない。
ある程度は作為的に表現はできるけど、必ず語弊の可能性が残るものだ、というのは世の常ですよね。
それにしても、もっとちゃんとポートレイトの為の時間を作って、その為の空間とライティングを用意して三脚にカメラをセットして撮影する必要があっただろうか。
いや、これで十分だろうな〜。
撮りたいもの、表現したいことがあれば、思いつくやりかたはあるんだけど特にないからなぁ〜。
逆に、目的以上の意味がそこに産まれたか?
と考えると、ただの旅行中の記録写真にしか見えない。
撮影者の情報は、写真からいくつかは想像できるが、取り立てて重要でもなさそうに見える。
なんせ、この写真を繰り返し見ても、深い意味はないし、なんならシグマのレンズのボケ味が超綺麗じゃんめっちゃ良い!くらいの感想しか浮かばない。
ポートレイトを考える上では流石にちょっと浅はかと言うか、例に出すには薄味だっただろうか。
そういえば、そんな時に実践してみても良いかな〜と思うエクササイズがある。
こちらの写真論。
「まなざしのエクササイズ - ポートレイト写真を撮るための批評と実践」
これめっちゃおすすめ。
あの、タイアップでも何でもないのだが、中には様々なポートレイト作品についての批評と、実践的な…ん〜、ポートレイト写真を撮る上での「お題」のようなもの?が書かれている。
技術的な面での具体的な指示と、その目的が書いてあるので、写真的な思考・発想力を豊かにするのに良いだろう、と思いまして。
まぁ実際に読んだ僕がこんなに適当なのだから、この情報を信頼できるかはギャンブルみたいなものなんだけど、この本の著者が他人の写真作品に対してどれだけ深く考えているか、と言うところを知るだけでも価値はあると思う。
僕自身このレッスンに参加をしている訳ではないってのがちょっと残念なところなんだけど、でも、この本の指南通り全て実践するのも、僕みたいに適当に読んで楽しむのも、必要な部分・興味のある部分だけ実践して見るのもアリなんじゃないかな。
本を買って全部読んだ上で、やろうやろうと思いつつやっていない。
夏休みの宿題との向き合い方もずっとそんな感じだったなぁ、懐かしい。
ははは。
何はともあれ、写真について考えるのは楽しい。
何も写真の勉強するのは学校だけじゃないし、いつだって誰だって学びの中にいるじゃない。
数ある写真に纏わる本の中で、あまり上等な頭でなくても分かる、これは必要な人にとっては本当に良い本だと思うので、ぜひ読んでみて欲しい。
あと、なんか僕ももっとポートレイトやってみようかなって最近考えていて。
前、良真くんを撮影したことがあった。
この時は、今回と同じように機材のテストの意味が大きかったのだけれど、同時にファッション写真みたいなカッコいい写真を俺でも撮れないかな?って思っていたりした。
結果は、ライティングが大事、望遠レンズを積極的に使うべきだと感じた。
小道具なんか用意してもいいかもなー。
これからも積極的に人を撮影していきたいと思う。
それにしても記事の最後っていつも疲れてきてフワッと終わらせてしまう、こう言う文章の起承転結ってどうやったら身に付くんだろうね。笑