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”愛されている”という現実って実はない話

”愛されている”という現実って
実はない話をちょっとシェア

最近気づいて
うわーって思ったんだけど
”愛されたい”って
人は思うけど

”愛されている”と感じる
という「選択をしたわたし」
がいるだけ
なんだーって思って

例えばパートナーから
”愛してるよ”という言葉を
言われた時

ああ、愛されてる〜、
と選択する人もいれば

は?本当は思ってないでしょ、
と選択する人もいるよね?

そしてそのパートナーが
愛しているか、愛していないかは
本当のところでは
確かめようがない

愛されてる、と感じる選択肢も
愛されてない、と感じる選択肢も
どちらも妄想の域を出ない
よね?

待て待て待て
そしたらさ
”愛されてる”と感じることって
自分でそう感じると
”選択しない限り”
起きえないし
それも妄想でありただの選択

そうなの、妄想でしかない
いくら確かめて言葉で聞いたとしても
妄想の域を出ることは無理

愛されているという
現実があるわけじゃなく
愛されていると選択している
わたしがいるだけ

そしたら本当に
どんなことでも
どこまでいっても
自分の感じ方を選ぶことしか
世界には起きていない

じゃあさ
感じ方を能動的に
自分の快を感じるように
選んだ方が良いよね🎵
ていうか
それでしか快を感じれない

愛された現実が
あるように見えて
それは自分から湧き出てる愛を
ただ感じているだけ

世界=わたしである
このワンネス意識の感覚にも
繋がるかなあと思って
シェアでしたん



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