日本人の完璧主義から1億総エビデンス主義時代へ
日本人はアリバイ好き。
一昔前では、火曜サスペンス劇場だったり、映画の刑事コロンボだったりと勧善懲悪の刑事ドラマが放送されていた。
その流れで、金田一少年の事件簿や名探偵コナンなどの漫画が始まった。テレビや漫画では、とにかくアリバイを聞いて回るし、くまなく証拠を探す。列車の時刻表も好きである。
いつの間にか、日本人はアリバイ好きな国民になっている。
そして現代ではアリバイからエビデンス好きへと変わっていった。ビジネスシーンでの会話や日常生活でも聞くようになった。回答のエビデンスを重要視するようになってきたのも、ここ最近である。
とあるように、エビデンスとは【結果の統計】である。だから、将来的な問題やコロナなどの未知の問題に、エビデンスを求めるのは難しい。
なぜ日本人はエビデンスを求める。このエビデンスを求める心理とは、
日本人は完璧主義的な傾向があるため、失敗やミスを恐れる。この傾向は教育や文化的背景に影響されている。何より社会的に評価されることが多く、人目を気にする国民性のため、ますます完璧主義に拍車が掛かっていく。そして、発言者の権威や肩書にこだわる理由は、完璧主義を更に完璧にするための発言の正当化する目的である。
日本人、総エビデンス主義時代に突入
国会でも、完璧主義の傾向が強く、確実に裏付けのあるものしか決議しない風潮がある。これは国民からの支持を得て選挙で勝つためだけのパフォーマンスに近いように感じる。
エビデンスは【結果の統計】と述べたように、結果のデータを分析した上でのエビデンスになる。だから、エビデンスが出るまでは、かなりの時間が経過してしまう。
エビデンス主義とは問題解決までの時間がかかり、問題を大きくしてしまう傾向にある。
昔のネットの無い時代ように、村の長老や知見のある経験者に意見を聞いて信頼できる情報を収集していた。いわゆる人間がローカル版ハードディスクの役割になっていた時代の方が、豊かで物事の真意に近づいていたかもしれない。
現代でもエビデンスがない意見も柔軟に受け入れることが多様化で開かれた社会だと思う。
未来のことは、誰もわからない。だがエビデンスの無い問題に直面したときこそ、必要なのは人間力である。人間特有の経験と勘、勇気と責任感を使って問題を解決するしかない方法はない。
まとめ
・完璧主義者は完璧を必要以上に求めるあまりにエビデンス主義者へと変貌していく。
・未来の問題には、エビデンスはまだ無い。だからこそ人間力が必要である。
・人間力とは経験と勘、勇気と責任感である。
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