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母は僕の服が嫌いだ。

とても恥ずかしいのだが、高校時代は母に服を買ってもらっていた。

「とても恥ずかしいのだが」といったのは「母に服を選んでもらうことは恥ずかしいことだ」と世間がうるさいのでそうしている、、、が別に僕は恥ずかしいなんて思っていない。

むしろ光栄だった。

なんというか、うちの母はセンスがあった。トレンドも見つつ、普段使いも考えつつ、着る場所も思いつつ。

いわゆる英字がブワーって入ったtシャツや裏地がチェックなズボンとかではない。普通にミハラヤスヒロとかコムデギャルソンとかヴィンテージ古着とかも買ってくる。そんな母おらん。

「私が着るから!」

といいつつもそれは優しさで、僕に似合えばそれはいつしか僕のクローゼットの一員になっていた。

母のセンスはさすがなもので、今も現役なアイテムも多い。先見の明すぎる。

そんな母が嫌いな服がある。

僕が買ってきた服だ。

大学生になりお金も自由に使えるようになってから「自分で服を買う」という営みが追加された。

僕の服の変遷はとても典型的でして。最初はユニクロGU、そこからTOKYO系のキレイめ。最初はファッションは女子ウケこそ至極考えていたが、古着と出会ったりドメブラと出会って、すぐに服本来の面白さに惹かれ「自分がいいと思う服」を選ぶことにハマった。

これは何年モノの〇〇で…

ここがこうだからシルエットがこうで…

このブランドは〇〇出身の人が…

倦厭されがちな店員さんのファッションのうんちくが結構好きだった。(話を聞くだけきいて買わないなんてこともしたが…) (と言いつつ買うことが多かった) (こんな模範的なカモ客いない)

これは最近気づいたんやけど、いつのまにか「これが合わせやすいか」ではなく「これをどう着てやろうか」と料理人みたいな考えをしてることに気づいた。

SNSのファッションは異性ウケが100%だ。とりあえず髪はマッシュにして、キレイめシャツと、ほどほどなワイドパンツにキレイめトレンチコートを着ればなんとかなる。女性はハーフジップが好きらしい。

別にそれでいいし、僕もそれから始まったし。

今も異性からどう見られるかなみたいなのは気にしている。でもそれ以上に「目の前のコレを僕はどう着れるのかな」「それを着た僕はどんなのかな」 みたいな自分への好奇心が面白くて。個性的な服を着て褒められた時は本当の自分が肯定されてるみたいで嬉しかった。

だから、母は僕の服が嫌いみたいだ。

というかそれが親心だ。自分が選んだ服を息子が着てる。これは親として結構嬉しいことだろう。そんな従順な息子が個性的な服を買ってきて「これを着たらどんな自分になるんだろう⭐︎」とかしていたら寂しくもなるわな。

そんな親心を横目に僕は好きな服を着る。

到底及ばないけど、センスみたいなのは学んだ気がする。しばらく変な格好するかもだけど、いつかそんな僕を褒めてもらえたら嬉しいなとか思っているのだ。

というわけで、分割で3万円でズボンを買った。

「いいすねぇ」とか言いながら内心震えていた。一括でベンツ買ったベンツで帰宅するユリアンすげぇってなった。

ボルドーでコーデュロイの極太パンツ。

足3本入るやろって太さやのに、着たらとても馴染む。上の服を殺さずに、ゆったりした印象を作ってくれる。ボルドーの色が確かな主張をしてくれる。

むずいと思うけど、これがある日常に興味があった。暗い色になりがちな冬が、少しでも華やかになる気がした。

買った理由はこれから見つけてく。

だから母、嫌だね 変だねって思っててくれよな。

そうやってあんたの息子は大人になってくんだから。

あと、これからも、たまに、あんたの服貸してくれよな。僕はそれも好きだから。

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