読書のレポート)「82年生まれ、キム・ジヨン」 2018 チョ・ナムジュ (著), 斎藤 真理子 (翻訳)
~女性達の内面にさえも深く根付いた差別が故に~
描かれた差別は読者を驚かせるような話ではなく、誰もが見聞きしたことのある、おそらく世界中でありふれたものばかりだ。この小説が女性達の人生の描く目的が、社会構造的または文化的に女性がいかに差別を受けてきたか、という糾弾であることは明らかなのだが、強烈な差別なエピソードが挿入されて、怒りの共感を呼ぶようには書かれていない。決してどこかで目にした批判のような男性嫌悪を呼び起こすものでもない。
「82年生まれ、キム・ジヨン」は昨年からどこの書店に行っても平積みになっているベストセラー。いまや世界中で翻訳されている。
主人公は30代の女性キム・ジヨン。彼女が出産後に心のバランスを壊したことから精神科医が彼女の成育歴を本人と家族から聞き取った記録としてストーリーが展開する。描かれたのは社会・文化的にも、当の女性達の内面にさえも深く根付いた差別が故に、女性たちがその怒りを説明することも変革を説得することもできずにもんもんとしてたようなエピソードの数々と、それに直面した時の気持ちだ。女性たちの言語化されない怒りと悲しみに言葉と説明を与えたことが、この小説をベストセラーに押し上げた要因の一つだろうと思う。
物語の後半、印象的なシーンがある。主人公ジヨンは現代的で優しい夫を得て、子供を持つことについて話し合っている。ふたりは残業が多く土日出勤も伴う仕事を持っている。
・・・・・以下抜粋・・・・・
「でもさ、ジヨン、失うもののことばかり考えないで、得るものについて考えてごらんよ。親になることがどんなに意味のある、感動的なことかをさ。それに、ほんとに預け先がなくて、最悪、君が会社を辞めることになったとしても心配しないで。僕が責任を持つから。君にお金を稼いでこいなんて言わないから」
「それで、あなたが失うものはなんなの?」
「え?」
「失うもののことばかり考えるなって言うけど、私は今の若さも、健康も、職場や同僚や友だちっていう社会的ネットワークも、今までの計画も、未来も、全部失うかもしれないんだよ。だから失うもののことばっかり考えちゃうんだよ。だけど、あなたは何を失うの?」
・・・・・・・・・・・・
結局、ジヨンは妊娠して退職する。
多くの場合、男性は自分の生活に子供という要素が増えることは想像できても、その為に何かを「失う」ことは想定していない。小説の中でも夫は赤ん坊が生まれれば気軽に友達に会えなくなるとか残業できなくなるとか自分には扶養の責任が増えるなどと答えている。
また別のエピソードとして、ジヨンが出産後に保育園をみつけ家計を支えるためにアイスクリーム屋でパートをしようとしたときに夫は優しく聞く。「それは本当に君がやりたい仕事なの?」彼は君にはやりたい仕事をして欲しいよ、とあくまで優しい。でもジヨンがやりたい仕事につく技術を身につけるために夜間の学校を見つけた時、学費の他に夜間のベビーシッターを雇う必要があることに思い当たり、生活の維持のためにそれは無理であることを発見して気力を失う。
これらのエピソードを読んで急に理解したことがある。私の個人的な経験の意味についてだ。
私は現在は12歳の娘に自分の身の回りのことをきちんとすることをしつこく言ってきた。時に床に散乱するカバンやくつ下に猛烈に怒った。我ながら常軌を逸しているのではないか?と不安になるほどに。
娘に勉強しなさいと言ったことは皆無に近いが、出したものは片付ける、脱いだものを脱ぎっぱなしにしない、自分の事は自分で。生活習慣の躾だと思うかもしれないが、自覚的に私はこれを躾だとは思っていなかった。私はこれらのことを共に暮らす家族がしないことが自分らしい人生を奪われていることを象徴しているとずっと感じていた。細々とした片付けを一日何十回もして、子供の身の回りを世話して、子供の繰り言を聞く。片付けなんてしなくていい、洗濯物なんて畳まなくても困らないと夫に何度も言われたが、違うのだ。家族が主要な家事労働以外のことで無自覚に私の時間を奪う事、ほとんど唯一の私の創造性の発揮場所であり居場所である自宅を少しだけ快適な空間にしたいという願いを否定する事を、とても侮辱と感じていたのだ。
しかし同時に私の中にも立派な母とはそういうことを考えるべきでなく、母とは子供中心の人生に喜びを感じるもの、という刷り込みもあり、なにより情けないことに「優秀な母親だ」と言われたい願望もあった。今思えば私は自分の当時の怒りの原因について、ケアのいる可愛い生命を得ることと引き換えに自分の人生のための時間を(一時的に、しかし将来に影響する形で)失った為であるのが明確であるのにも関わらず、それを否認していた。長い間、相当じぶんの気持ちを自分自身に対しても説明できずに錯乱していた。こんなことを考える私は愛情において異常者なのだろうか、と思ったこともある。
しかし娘が私のケアを必要とする時間はあとわずかだ。下の子もやがて成長する。私は自分の為の時間を作り出す技術もおぼえ、母としての開放を間近に控えていることを感じ、嵐のような怒りはある時から落ち着いた。
しかし同じ感情は6歳下の息子の時に再び違う形で発現した。息子はどうやら軽微な発達障害がある。娘と違って場合によっては生涯にわたって何らかの親の支えが必要になるかもしれない。私は下の子の小学校入学にあたって、急に彼を細かく躾ようとした。教材を手作りまでして学校の勉強につまずかないよう先回りして数の概念や、文字を教えようとした。教えながら彼が自分が想定していたよりも利口であることを証明したい欲求に苦しんだ。私はこれを「彼が心配だからだ」と思っていた。それはもちろん真実なのだ。彼が学校でしょんぼりしている姿を想像すると胸が張り裂けそうにキリキリ痛い。でも、他にも大きな理由が私の中にあった。そうだ私は「彼が私を安心させる自立ができない限り、私は彼の為に生きる役割から降りられない。」そう思っている。だから不安なのだ。「親なんて一生なにかしら子供を心配して生きるものだよ。」夫は優しく言う。でも彼は子供のために何かを諦めなければならない現在もないし、そんな未来は見ていない。
そんなに縛られることを恐れるあんたの人生ってなんぼのもんやねん、というつっこみは容易に想像がつく。というか自分でもそう思っている。別に今現在、人生を捧げたい何かがあるわけではないのだ。ただ、特別に情熱的で意思の強い努力家のスーパーウーマンでなければ、女性の、母の役割の中に生きていくのが息苦しいと表明してはいけないのだろうか。それをわがままだと刷り込むことは教育なのだろうか。むしろ内面に差別を植え付けることなのではないかと、思い至る。
人生が誰かに縛られている、私が私でいられる場所を失ってしまう、という感覚は時に胸の底から怒りを呼ぶことがある。それは自分からさまざまなものを奪っていく対象への愛情と共存する。強烈な怒りと愛情の混沌。
そういえば、私の母も私を深く愛したが、私に対して異様なほどの怒りを示すことがあった。きっとあの時の母は今の私と同じ感情を抱いていたのではないかと想像できる。そして、母は私に向けたのと同じ種類の怒りを弟にぶつけることはついぞなかった。あれはきっと私が母と痛みを共有すべき「女」だったからだ。母も差別をしっかり内面化していた。
ここで話は小説にもどる。「82年生まれ、キム・ジヨン」のポイントは女性の三代記ともなっている。上の世代から下の世代へと受け継がれていくものは、人生を切り平開く知恵だけでなく、その人が社会に対して持っていた怒りも恨みも、自身が内面化してしまった差別的認識も含まれている。
この小説は、女性像や母親像、同時に男性像や父親像、それぞれの役割に対する刷り込みが自他から何を奪うのか、それはおそらく自由な意思と公正な判断力であり、生きる活力なのだが、その曖昧さにくっきりとした輪郭を与える小説だと思う。それは、私が上のように自分の経験とその時の感情に急に説明がついたように。
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