失ったものは何もない。むしろ大きな宝物を手に入れた。
『深刻にならず、真剣になれ』
入院中に、TOYOTAの豊田章男社長のこの言葉に出会った。
自分には、闘病生活の自分自身に言い聞かせている言葉を端的にまとめた言葉として、ものすごく感動した言葉だった。
正直、深刻になることなんて、病気を宣告されてから、いくらでもある。
その度に、その事実に『一喜一憂しない』。
そして、『向き合い方』だけを自身に問いかけることを徹底した。
それを徹底すればするほど、すべての活動を丁寧かつ真剣に取り組めた。
今考えられるできることを丁寧かつ真剣に取り組むしか、『一喜一憂せず』に前に進む手段がないからだ。
この病気自体、コントロールができる状態ではないから尚更だ(手術等ではなく、臨床ベースでの化学療法・放射線治療なので)
でも不思議なことに、真剣に取り組めば取り組むほど、色々と学びも得られるし、自分の自信となり、より前向きに闘うエネルギーにもなった。
病気と通じて、改めて、何事も(休息さえも)全身全霊で取り組むことが、自身に大きなエネルギーを与えてくれることを痛感する。
仕事でも病気でも、何事も真理は同じ
何事も同じなんだとも、痛感する。
これまでだって、必死に走ってきたし、何かを掴みたくて、何かを学びたくて、人に勇気を与えられる人になりたくて、やってきた。
これまでは主に、仕事を通じて学んできたことだけど、病気を通じても同じようなことを痛感するとは思いもしなかった。
正直、自分の心のどこかに『向かいたくない』気持ちが全くなかったかというとうそになる。
ただ、それと向き合わず、好きなように余暇を楽しだり、趣味に励んでも、病気は待ってはくれないし、健康は戻ってこない。
自分を今すぐ変えるしかなかった。そして、すべての欲を捨てた。壮大なプロジェクトの始まりだ。
あと、思う存分『向き合う』には『真剣』になるには、心身の体力がないとできないことも、頭を過った。
どうせ老いて、病気になってそのときに真剣になったり、真剣になっておけばよかったっと思うくらいなら、今、出来るうちに真剣に取り組むべきとも感じた。
気分転換、余暇、趣味、不要なものとは思わないけど、明日なくなっても失うものはない。
僕が選んだ選択肢
ストレスという免疫を落とさぬよう、気分転換、余暇、趣味も大事。一方で、『向き合う』『真剣』になると、心身共にストレスを伴うことも分かっている。
でも、僕は『向き合う』『真剣』を選んだ。『向き合う』『真剣』向き合うことの方が、よっぽど人生の中で培って損がない、最も重要なスキルだと思った。気分展開、余暇、趣味も、凌駕できる何かを得られるのではないかと思ったからだ。
むしろ、真剣に向き合わなかったゆえに、大切なものや自分を失うことのほうが尊いとも思った。
全て同じように取り組めれば、最高な生き方ができる宝を手に入れることができた気がする
そして、ふっと気がついた。いつ、どんなとき、どんな状況、どんなレベル感でも、同じように生きれたら、どんだけ幸せで満足度の高い人生が送れるのかを。
それを自分自身の身をもって体験できたことが、何よりも宝だ。
コロナと闘うことも同じだと思う。