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1.5ヶ月の入院生活を経て感じること

入院生活を終え、『当たり前の日常』に帰ってきました。
『当たり前の日常』と『』書きに敢えてしています。

不思議な感覚に襲われる

常に動いてたい僕が、1.5ヶ月の間、15㎡の病院の個室で過ごしていたせいだと思いますが、これまで味わったことのない感覚に襲われました。

言葉に表現することは難しいのですが、『違う星に来た』ような『全く違う時系列に生き始めた』ような『全く違う自分に産まれた』ような、『過去がどこかに行ってしまった』ような感覚に襲われました。(頭がおかしくなったわけではないですよ笑)

自宅についた瞬間、キョトンとしてしまい、『ここに、自分生活してたんだっけ』と思うくらいです。

過去40年生きてきたことも、一瞬の夢のような感覚に感じ、映画でいうとマトリックスの世界を体感しているかのよう。

そして、1.5ヶ月ぶりに靴を履くこと、お風呂に浸かること、自身のベットで寝ること、朝ごはんのニオイがすること、朝の小鳥の囀り、車をかけるエンジン音、家族との会話、などなどすべてに新しさと感動が。

これらの感動は、例えるなら休暇でハワイに来て、絶景を見ながら、ゆっくり時間をビーチで過ごしているときと感覚は全く同じだと思ってください。(なので、もうしばらくは、STAY HOME大歓迎です笑)

自分が作り上げた日常生活全てに「幸せ」を感じることができたんです。

当たり前の感覚を作り出しているのは、人間の五感と脳

『当たり前の日常』だと思っていた入院以前の生活は、何か当たり前だったんだ?と思います。

結局のところ、『当たり前の日常』の世界を作っているのは、その人自身そのものなんだと。
環境によって、人は『当たり前の日常』の偶像を創り上げる。なので、環境によって、大きく変わってしまうものだと(つまり、環境を作ることも大事とも言えますね。)

一方で気付かされたのは、『良いと思うもの』の感覚は変わっていなかったことです。つまり『その人自身の感性』

それらの中で、発見できたことは、だからこそ、一人の人間として、

『どういう感性でありたいか。』を自身の内面に問いかけ、確立させることが重要

なんだと改めて感じたし、モノや生活水準、手段の話ではないのだと痛感しました。

コロナの生活の中で皆さんも、『昔、こういうの好きだったなー』とか『生活は苦しいけど、これだけは続けよう』とか『好きだったものにチャレンジ』しようと思いませんでしたか?

入院が自分の感性を発見する機会に

そして、いわゆる『心豊かに生活』するとは、「『どういう感性でありたいか』を自身の内面に問いかけ、それを見つけ、あらゆる体験を通して、厚くすること」を示しているのではないかと。

当たり前ですが、人は、その感性がどんな形であれ満たされれば『心豊かな生活』だと感じれるのだと。それは、いくらお金をかけたり・かけなかったりとは全く関係のない世界です。お金をかけても出来ますが、掛けなくたってできることはたくさんあることに今回痛感したんです。

新たな自分を築くにも、素晴らしい経験だった

15㎡の世界で、全神経を治療に集中し、最小限の生活をしたことで、感性も研ぎ澄まされ、これまで触れてきたことがリセットされ、自分自身の感性で築いてきた生活の体験の全てに、感性が振れたんだと思います。

併せて、これから自分自身の未来を築いていく上で、ブレてはいけない自身の方向性が見えた気がしました。だからこそ、自身の価値観に従い、よりビジョンを重要視した活動が出来ていく気がします。

コロナの自粛後、皆さんも経験することと思います

今回の経験で何を言いたいのかすごく言語化に苦労しました。でも、今既に気付いている人もいると思うし、きっとコロナ終息後に多くの人が経験するのではないでしょうか。

そうやっと多くの人がこの感覚を経験してもらえるとすごく嬉しいです。

僕の病気も、コロナも、引き続き大変だと思いますが、このような経験を通して、明るい未来があると確信しています。

そのときに、この記事を思い出してもらえると嬉しいです。

引き続き、皆で、頑張りましょう!!!


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