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水本ゆかりとギリシア神話 #4(完)


前回#3で言及した女神ハルモニアは、英単語"harmony"の語源となったことでも知られています。そして水本ゆかりもまた、「ハーモニー」という言葉とともに歩み続けてきたアイドルです。

そこで今回はまず、私の気付いた限りのゆかりハーモニー語録(?)を挙げておきたいと思います。テキスト整形しにくかったので表にしてみました。

2014年に空白期間がありますが、これは[ヴォヤージュ・ヒーラー]登場の後、
[自然なテンポ]までおよそ11か月の空白があった時期と重なっています。
その期間を除けば、毎年なんらかの形で「ハーモニー」という言葉が用いられているのです。その回数は同じ奏者系アイドルの星花さんやあいさん、音葉さんと比べても格段に多く、一貫した意図の下でキーフレーズになっているものと見てもよいでしょう。

実を言うとこれだけではなくて、隠しハーモニーとでも呼びたくなるようなシチュエーションが、他にも存在するようです。それはたとえば、アルテ・オーセンティカが足を運んだ先の王立劇場で、レリーフ「情熱のハーモニー」としてゆかりと対面する日を待っていたりします。

他に「返答がハモる」というタイプのものもありますね。

こうして列挙し、それぞれの台詞や表現の方向性などにまとめて目を通してみた結果、私が感じたのは「ゆかりがハーモニーという言葉を口にする時、その意味はたった一種類だけではない」ということです。

ゆかりはまず第一に、仲間との一体感のことをハーモニーと呼んでいます。
イエローリリーやメロウ・イエローにおいては、とりわけこの意味で用いられています。また『あいくるしい』においても、ゆかさえのお誕生日ハモりが他のメンバーと打ち解けるきっかけになっています。
「Pと二人三脚でみんなを喜ばせる仕事がしたい」という意味で、理想のパートナーシップを指してハーモニーと呼ぶことも、この範疇でしょう。
そして両者に共通する「心を暖かくしてくれるもの」というイメージが、[冬のハーモニー]に繋がっているようです。

そして第二に、ゆかりは複数分野にまたがった技術を統合してひとつのパフォーマンスにまとめ上げることや、自分の中のイメージをパフォーマンスへと的確に反映させる手続きをとることも、ハーモニーと呼んでいます。
前者は技術のひとつひとつを音符に見立てて、それらを組み合わせれば和音になるという比喩ですし、後者は適切な手順を踏んで仕事を完成させることを、コード進行の組み立てや、調律・音合わせの手順のイメージと重ねているのでしょう。
つまりゆかりは、アイドルの仕事の流れを、フルート奏者として慣れ親しんだ知識や営みと照らし合わせることで理解しようとしていたのです。
ウェディングモデルアイチャレの「私も、あのハーモニーの中に入っていかないと…」という台詞を例に取ってみると、これはおそらくアイドルそれぞれの個性と仕事内容がいかに高い次元で融和しているかという物差しで、奈緒・千枝・早苗のレベルの高さを評価しています。そのうえで、個々のハーモニーを重ねあわせることによって『ウェディングモデルチャレンジ』というひとつの楽曲にまとめあげたいと強く意識していたのだと思います。

さらに第三にゆかりは、やりたいこととやるべきことを一致させることもまた、ハーモニーであると認識しているようです。
「かわいい癒しを表現したい」という想いが、表現者として自分の世界をもつことに結びつくのが[クラシカルハーモニー]ですし、スターライトステージ版清純令嬢を特訓した時の「いつか、立ちたい舞台を自分で決められるように……」という台詞も、このような心意気を示したものではないでしょうか。
また、[Kawaii make MY day]においても、「かわいくなりたい」という想いが、ステージ上のパフォーマンスに反映されています。

そしてゆかりはこれら三種のハーモニーを経て、第四のハーモニーを体験することになります。
それを「自分のイメージをパフォーマンスへと反映させた結果、ステージからさらなるフィードバックを受けること」というとわかりにくいですが、これはみなさまもご存じ『夕映えプレゼント』の歌詞とほぼ重なっています。
たとえば「夢みたいにきれいで泣けちゃうな」という歌詞は、目の前の風景と心の中の風景が共鳴することで湧き上がる感動を表現したものでしょう。
ハーモニッククラウドで、ゆかりは空のあまりの美しさに心を打たれて、思うように言葉を紡げなくなってしまうことがありました。
夏島アイプロについても、夕日への言及や「私の心と同じで、静かだけど寂しくない星空」という表現をみれば、その収穫の豊かさがわかります。

これらの感動はゆかりのみならず、観客席やユニット仲間、Pなどその場にいた多くの人々によって共有されたものです。
こうした集団的な体験を何度も重ねるごとに、ゆかりは表現の幅と深みを増して、新しい自分を育んでゆくのでした。

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以上のように女神ハルモニアは、水本ゆかりの挑んだ試練と成長の道筋を、「ハーモニー」という言葉を介して示してくれました。
その到達点のひとつがエアリアルメロディアの舞台であり、そこではハルモニア自身もまた、ウロボロスとしてゆかりを見守ります。

エアリアルメロディアのステージは、エフェソスのアルテミス大神殿を現代に再現することを目指していました。
これは私の想像というよりは、アルテミス・イオニア式の柱・ウロボロスという3つの配置によって、暗黙の裡に語られているものと思われます。

女神アルテミスは、「小アジアからギリシアへ」という一方的な影響を与えるだけではなく、「ギリシアから小アジアへ」というフィードバックも受けて、その本拠地エフェソスで国際的な尊崇を受けました。
ゆかりもまた「自分からステージへ」だけでなく「ステージから自分へ」という共鳴現象を起こして、目覚ましく成長していきます。

実を言うと、エフェソスのアルテミス女神像は、乳房を鈴なりにつけた一種異様な姿をしています。しかしこの姿は、奇怪で恐ろしいものを描こうとしてそうなったわけではありません。むしろ女神の聖樹をそのまま写し取ることで、動物のみならず植物にも及ぶ山の豊穣を表現したものと思われます。
ラコニア北部・カリュアイで信仰されたアルテミスは「アルテミス・カリュアティス(クルミの樹の乙女)」と呼ばれ、またデーロス島のアルテミスは、母神レトと同様にナツメヤシを聖樹としていました。
そしてクルミやナツメヤシの樹木が実をつけた姿は、エフェソスのアルテミス女神像とそっくりなのです。

私が思うにエフェソスの人々は、船出の風を司る女神としてだけではなくて、世界軸=アクシス・ムンディ(他の神話でいうなら世界樹ユグドラシルです)としての大女神アルテミスも崇めていたのではないでしょうか。これをオリュンポス十二神としての枠内で表現すると「天地を支える巨人アトラスの娘たちプレイアデスはアルテミスに救われて、その熱烈な支持者となった」――ということになるようです。

エアリアルメロディアの胸下に輝く絢爛たる紋様を見て、強い印象を受けた方は多いことでしょう。それはすなわち聖樹ナツメヤシ(=Palm)を図案化したもので、美術用語としてはパルメットと呼ばれます。エフェソス神殿で崇められていた全高15メートルものアルテミス女神像を極限まで圧縮し、水本ゆかりの衣装として成立させるために、この紋様は機能しているようです。

また、こうしてアップにしてみると、その胸の中心に輝いている宝石(?)は他の八面体と少し形が異なります。これは両サイドを二匹の蛇のような飾り(=ウロボロス)で取り巻かれていることから、賢者の石をイメージしたものかもしれません。その特徴は一にして全、純粋であると同時に無限の可能性を秘めていることです。

ここで私は、スターライトステージ版の初期Nにおける親愛度MAX演出を思い起こします。ゆかりは最初「純真さが足りない」「思いが曇っている」という独特の表現で厳しい自己評価を下していました。ここから大きな成長を遂げて、かねてからの課題をクリアした純粋さの証が、エアリアルメロディアの胸に輝いているのでしょう。

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さて、エアリアルメロディアの舞台や衣装・歌などからフィードバックを受けたゆかりは、そこで目撃した景色の中でもとりわけ「光」について多くを語ります。

[クラシカルハーモニー]における水のイメージや、[エフォートブリランテ]の「水本だけに水は得意なんです」という台詞があまりにも印象的なせいか、それほど目立たない(というか私個人が見落としていた)のですが、水本ゆかりの特技名の中には、光+音というイメージの組み合わせから成り立っているものが、いくつもありました。
こちらも一応、列挙してアピールしておきましょう。

1)[純粋奏者]の特技:きらめきの旋律
2)[ヴォヤージュヒーラー]の特技:光歌の旋律
3)[誠実なる花嫁]の特技:輝きのトーン

音をもたらすのが彼女の声だとすれば、光はどこから発するのか、という疑問が沸いてくるかと思われます。
このヒントとして、エアリアルメロディアでゆかりは「この光の向こう側でPさんが見守っていてくれる…」と言っていますね。
Pが光なのではなく、Pとゆかりで同時に光に向けて手を伸ばせば、きっと触れあうことになる――そんな位置関係にあります。
[クラシカルハーモニー]で「期待を受けて輝くのが月」だともゆかりは言っていましたが、ならばPが太陽でゆかりが月なのかというと、どうやらそうではないようです。
「二人で力を合わせ、素敵なハーモニーを奏でましょう。」という台詞などとあわせて振り返ってみると、Pもまたゆかりからの期待を受けているのでした。ふたりはやはり、対等な関係にあるのです。

そこで私は、この場合の「光」を、ステージに現れたもうひとりの水本ゆかりのビジョン(=トップアイドルとして想像する未来の自分)なのではないかと捉えました。そこにはゆかり自身はもちろん、我々Pや、観客であるファンも手を伸ばしているはずです。

今のゆかりは、このもうひとりの自分のビジョンから、再びフィードバックを受けることが可能な器を備えています。
これら一連の現象をシンデレラガールズ内の言葉で翻訳すると「自分と向き合って特訓」ということになるでしょうか。それは内的世界と外的世界の調和(ハルモニア)であり、尾を呑む蛇(ウロボロス)の智慧に至ることでもあるのでした。

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ここまでハルモニア/ウロボロスが表象してきた「死と再生」をアルテミスの文脈で読み解くと、叙事詩『アエネーイス』に登場した金葉の小枝の存在が浮かび上がってきます。それはフレイザーが『金枝篇』を執筆するきっかけとなった「死と再生」の鍵でもありました。

ローマの祖・アイネイアスは、滅亡したトロイアから逃れて新天地を求める道すがら、アポロンとアルテミスの神殿を2度訪ねることになります。その2度目で彼は、亡父からの予言を受け取るため冥府行へと旅立つ必要に迫られるのですが、その際に巫女シビュラは「あなたが冥府に行ってまた戻るためには、ディアナの聖なる森にある黄金の枝葉を折り取らなければならない」と教えたのだそうです。

『アエネーイス』が描いたのは冥府の入り口とされるアヴェルヌス湖の女神ディアナの儀式でしたが、そこで重要な役割を果たした金枝は、聖樹の槲から芽吹くヤドリギであったとされています。また『金枝篇』は、月を鏡のように映すネミ湖の女神ディアナの儀式について考察しましたが、こちらで用いられる金枝もやはりヤドリギです。フレイザーはこれらの儀式を、北欧神話のバルズール殺しと関連付けました。

実を言うとこのネミ湖の女神ディアナは、黒海に面するタウリケのアルテミスとかなり類似した「死と再生」の儀式を備えており、それゆえ二柱の女神たちは同一視されました。当のローマ人自身が「ネミ湖の儀式はイピゲネイアの弟オレステスが伝えたものだ」と公言するほどです。……そう、タウリケといえばイピゲネイア、そして[素顔のお嬢様]+でしたね。ならば[素顔のお嬢様]と[エアリアルメロディア]の共通点として、金枝のようなデザインを探し当てることはできるでしょうか? 

……できました。この金モールとビーズはおそらく、ヤドリギの枝とその果実をモチーフにしたものでしょう。エアリアルメロディアの場合は、腰部に金葉らしき描写がないとも言えますが、我々は既にその在処を知っています。

エアリアルメロディアの髪飾りは、アポロンとダプネの物語に登場する月桂樹から乙女の純潔をアピールするに留まらず、その黄金の輝きによって冥府行からの帰還――すなわち【復活する女神の物語】の始まりをも告げるのでした。

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かくして新たな局面へと歩みを進めたゆかりが演じるアルテミスは、スケジュールがあえばエフェソスの大神殿で歌っています。
しかしこのアルテミスは、世界七不思議のひとつとされるエフェソスの大神殿を擁していながら、アレクサンドロス大王が産まれる瞬間を見守るのに夢中で、自分の神殿が焼け落ちても気付かないし、さほど気に留めないのです。

単に信仰の証ということならアルテミスにはクラニディオン(右肩のマント)がありました。それは女神の信奉者たちから奉納されたもので、彼女が広く愛されていることの証です。ルーブル美術館が所蔵する『ギャビーのディアナ』は、アルテミスがこの奉納品を身に着ける瞬間を、永遠に世に留めようとするものでした。お召し替えを済ませた彼女が、もはや大人しくひとつの神殿に座していられるはずもありません。

デーロスやデルポイはほっとする、アグライやブラウローンも愛おしい。キタイロンの山で水浴び……するのは今回やめておくとして、ディクテーの山に登ってみようか。アルカディアの山々もターユゲテーの山脈も、まだまだ私が面倒をみてやらなくては。そういえばタウリケの連中は元気だろうか? エレクテイオン神殿でアテナと宴を開く予定もあるが、たまにはヒュペルボレオイのところにも顔を出しておかないと。いや、もうひとつ忘れてはいけない場所があった……この時のアルテミスにとって、それはマケドニア王宮のとある一室だったのでした。

アルテミスの姿は人の目には見えませんが、そもそも隠れる必要があるわけでもありませんから、堂々と部屋に入って赤ん坊を抱きあげました。時に女神は「おー、よしよし」と子守唄のひとつも歌ったでしょう。
そしてこのような音楽に包まれて健やかに眠った王は、後に世界を席巻するに至ったのです。

アレクサンドロス大王からみれば、この女神はなんと呼ぶにふさわしい存在だったでしょうか。

きっと「妊婦と分娩の庇護者(エイレイテュイア)」や「小児の養育者(パイドトロポス)」あたりが、模範解答のはずです。
古からアルテミスが見出してきた光とは、それが男か女か、獣か人かさえ問わず、常に新しく生まれてくる命であり、世界を切り拓く可能性でした。

けれども王は、なんとなく聞き覚えのある子守唄を思い出して、彼女に別の名前で呼びかけたことがあったかもしれません。
つまり私が思うに「大気に満ちる旋律の神霊(エアリアルメロディア)」と。

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「水本ゆかりとギリシア神話」というお題を掲げた一連の考察は、ここでようやく終着点まで辿りついたものと考えます。

エアリアルメロディアがギリシア神話の女神を模しているとしたら、具体的にいってどの女神なのだろう? それがアルテミスだとしたら、なぜ彼女は「月の女神」ではなく「音楽の女神」と呼ばれうるのか? ゆかりとアルテミスの共通点は、どのような点に見出されるだろう? エトセトラ、エトセトラ。
さまざまな謎の答えを探し求めての長旅、いかがでしたでしょうか。

あれこれ眉唾な話が多く見受けられるにも拘らず、お付き合いくださったみなさまに、感謝申し上げます。そして最後に、私自身が特に何度も読み返した考察などを挙げさせていただければと思います。

まずは水本ゆかり学会(第八回)過去ログ『エアリアルメロディアについて』です。今読み直しても唸らされてしまうような、多様な視点に基づくツイートばかりが並んでいます。

そして、カラマ祖父氏のモーメント『エアリアルメロディアの話』です。
「令嬢からの脱却」「憧れ」「光」などのテーマが、シンプルかつスマートに提示され、まとまっています。

もちろん『水本ゆかり総合情報wiki ~水本ゆかりの楽譜(スコア)~』も、ありがたく参照させていただきました。
ゆかりハーモニー語録のリストアップはもちろん、スクリーンショットを撮り直す際に「あれってお仕事台詞だったかな、どこで見れたっけ…」と忘れていることもあったりして、とても助かりました。

これからも、みなさまとゆかりが、素敵なハーモニーを奏でられますように。

ご読了ありがとうございました! そして、これからもまだまだ新しい世界に挑み続けるアイドル・水本ゆかりにご期待ください!(了)