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BTSを通して社会を考える話
先日書いたこちらの記事。
この本の刊行記念イベント第2弾として行われた
「大学生が読みとくBTSと社会」
というオンラインイベントに再び参加した。
「BTSを読む」「BTSとARMY」「BTS オン ザ ロード」の訳者である桑畑優香さんをゲストに、入門書執筆メンバーがBTSを通して現代社会やジェンダーについて考えるイベント。
「BTSとARMY」「BTSを読む」の2冊は私もすでに読んでいて、ブックトークイベントに参加したこともある。
その時も相当に濃密で貴重な時間だったけれど、主に韓国や海外からの視点でBTS現象とは何なのかを考えるものだったので、日本人の視点で、またモヤモヤ入門書メンバーの視点でBTSを通して社会や歴史問題を考えるというのがとても新鮮で、2時間超があっという間だった。
思うことがありすぎてなかなかまとまらないけど、今の時点での感想を書いてみる。
オルタナティブな男性性、有害な男性性
オルタナティブとは、代案、代替物、二者択一、さらには、主流な方法に変わる新しいものといった意味で使用される英語由来のカタカナ語である。簡単に言うと、代わりとなるもの、択一的という意味である。(Weblio辞書から引用。)
耳慣れない言葉だったけれど、BTSの魅力を考えるときとてもしっくりくる言葉だと思った。
謙虚なところ、心のうちをオープンにさらけ出すところやメンバーの距離の近さ、相手を褒めたり励ましたりがナチュラルにできるところが私はとても好きなのだけれど、彼らを見ていて感じる安心感や、平和な感じが、従来の男性性と違うオルタナティブな男性性によるものではという話にはとても納得がいった。
個人的に、BTSのメンバーがほとんど肌を晒さないのも安心して見ていられるところだったりする。性的な消費を避けるためと聞いたこともあるので事務所の方針かもしれないけれど、身体を鍛えていてもそれを誇示したりしないところに私は安心感があるのかもしれないと思ったりした。
Boy In LuvやWar Of Hormoneの歌詞がミソジニー(女性蔑視)的だとARMYから批判を受けたこと、公式に謝罪表明し、その後「21st Century Girl」を発表したことは聞いたことがあった。
その時は、言葉だけの謝罪に終わらせなかった彼らはすごくかっこいいと思っただけだったけれど、今改めて考えると、過ちを認めて向き合い、変わっていこうとすることって簡単なことではなかっただろうなと思う。
自分は人を傷つけたり差別したりしないと思っていたならなおのこと。
歴史修正主義の問題にミソジニー(女性蔑視)も関わってくるのを初めて知って興味深いなと思った。
根本にそういった観念があるなら、慰安婦問題をなかったことにしようとしたり、女性の人権について正面から考えようとしないことも頷ける。
ディベートとか論破カルチャーにしてもそうだけれど、とにかく相手より優位に立っていたい心理なのかなと感じた。
こういった人達が加害の歴史を事実として認め、謝罪するのは確かに難しいことだろうなと思ってしまった。
BTSも初めからではなくいろいろなことを経て変わってきたのだと思うけれど、彼らの体現する「オルタナティブな男性性」が歴史問題を考える上でのキーワードになりうるという話、その通りだなと思う。
ただ正直に言うと、加害の歴史について深く学んでいくのがまだ怖いなと思っているところで、彼らの姿勢に学ぶべきところが多いと思いつつ少し痛い思いをしている。これもモヤモヤかな。
「Spring Day」にみる「連累」
「Spring Day」がセウォル号事件の犠牲者への追悼を表現しているのではないかという考察は私も知っていたけど、モヤモヤ入門書で「連累」という概念を知り、今回「Spring Day」に連累の概念を見るという考察を聞いて、ちょっと鳥肌が立つような思いがした。
連累とは
現代人は過去の過ちを直接犯してはいないから直接的な責任はないけれど、その過ちが生んだ社会に生き、歴史の風化のプロセスには直接関わっている。そのため過去と無関係ではいられない。過去の不正義を生んだ「差別と排除の構造」が残っている限り、現代人には歴史を風化させずに、その「差別と排除の構造」を壊していく責任がある。(モヤモヤ入門書本文から引用)
「Spring Day」の歌詞やMVには、セウォル号事件を連想させるモチーフやキーワードがいくつも出てくる。
そのことはたくさん考察されているし、この曲をネット検索するとセウォル号事件がセットで検索ワードに上がってくるようにまでなっている。
当時の政権が、セウォル号事件に関して政府を批判した人物のブラックリストを作っていたというのも聞いたことがあるけれど、そんななか、BTSが明言はせずともこの曲を発表したことは、とても大きな意味があるものだったんだと今さらのように実感した。
風化させない、繰り返させないという意思はまさに連累の概念と一致する。
そして、イベントの中でこの曲が収録されたアルバムのタイトルが「You Never Walk Alone」であるということに言及された時は思わず涙が出そうになった。
モヤモヤ入門書を通してモヤモヤを共有することの必要性を感じるようになった今、このタイトルがものすごく心に響く。
風化させないことも、差別や不平等への抵抗もひとりでは絶対できないと思うから。
今回のイベントを通じて、これまでとはまたぜんぜん違う感じ方でこの曲を聴くようになった。
そして音楽を通してこういったメッセージを発信するBTSをまた好きになる。
マジョリティが変えるべきもの
イベントの内容から離れてしまうけれど、最近人権や差別に関して少し調べたり読んだりした中で、たまたま見つけた記事がある。
「マジョリティの特権を可視化する」イベントレポート
すごく印象に残ったので、これはこれで感じたことをちゃんと整理したいものではあるのだけれど、ざっくり言うと、差別的な構造を変えていくためには、マジョリティ側が自分の持つ「特権」を自覚し行動していく必要があるという内容。
「特権」を持つがゆえに考えなくても生きていけることを「鈍感」と捉えていたんだなと深く納得した。
私はマイノリティである女性としては差別を受けやすい立場にいるけれど、国内であれば国籍で差別を受けることもないマジョリティだ。慰安婦問題などについて無頓着でもいられるのはマジョリティである加害国側にいるからだ。
そういった私の立場ならではの歴史問題への向き合い方があるのかなとも思ったりしている。まだぜんぜん分からないけれど…。
「特権集団の人々の中で、自らの意志で被抑圧集団の人々の権利を支持する、あるいは社会的公正を求めて立ち上がることを選択する人々」をアライ(Ally)というのだけれど、男性であるモヤモヤ入門書メンバーの方やBTSのメンバーが、フェミニズムやジェンダーについて真剣に向き合って考えているのがまさにそうである気がしてとても心強い。
ただそこで終わらないで、私は私の立場でアライを目指していけたらなと思う(少々弱気。)
Speak Yourself
モヤモヤ入門書からスタートしていろいろなことを考えるようになったけれど、考えるほどに何ひとつ切り離せるものがなくて繋がっているように感じる。
頭がいっぱいでなかなか整理がつかないのだけれど、こういうことも言葉にして誰かに共有してもらうことでまた違う気づきがあるのかもしれない。
BTSを好きになったきっかけをたまたま前の記事書いたけれど、そこにも書いたSpeak Yourselfという言葉をまたここでも書くのがなんだか不思議。
BTSを好きになったら社会のことを考えるようになった、ってことを今は話したいかもな、などと思っている。
モヤモヤ入門書も4刷決定とのこと。
もっと広がってたくさんの人のきっかけになるといいなと思う。
ここまで読んで下さってありがとうございました。