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上場企業を辞めて起業した男の末路

最初の過ち

新卒で入社した上場企業(以下、A社)を退職し、起業してしばらくたった。思い返せば、この会社に入ったのは、消去法だった。当時、3社の内定(大手素材メーカー、大手外資IT、大手テーマパークのマーケティング職)とA社の内定を持っていた。結局、ぬるい意思決定をした。

口では、いつか起業したいだとか、将来はめっちゃ稼ぐとか言っておきながら、甘えた。通いやすくて、ある程度有名で、平均年収が高くて、openworkで総合評価が高い会社に入った。結果的に、ホワイト大企業だった。それは間違いなかった。

使い物にならない自分

しかし、私はあまりにも仕事ができなかった。学生時代にゼミや課外活動をさぼりまくったせいで、基本的なPCスキルが著しく欠如していた。

また、コミュニケーション能力も低かったので、全然職場になじめなかったのを覚えている。そもそも、内定者懇談会で酒を飲みながら役員や部長の話にふんふん耳を傾けているとき、すでにアウェイを感じていた。

思い返すと、アルバイトもろくにできなかった。コンビニバイトは、マルチタスクができないので1カ月で首になった。工場バイトは、退屈すぎてすぐやめた。唯一続いたのは、家電屋のバイトだ。Wifi回線などを売った。これは、よく喋るタイプのコミュ障には向いている仕事だった。距離感がバグっているので、特に抵抗なくこなせた。じゃあ営業として正社員でもやっていけるかというと、その自信はなかった。

とにかく、何もなかった。何も、だ。インターンや就活は、3回生の時から準備して、かなりの数の選考を経験していたので、場慣れがあった。また、鬼門になりやすいグループワークも、積極性を持って議論を仕切れるか、という1点だけはそこそこ強かったので、落ちることはなかった。

だからこそ、勘違いをした。自分は優秀だと。できる人間だと。

甘すぎた。むしろ、下から数えたほうが早いような人材。それが等身大の自分だった。内定者懇談会で、役員が「君たちを採用するのに1人あたり2000万円ほどかかってるから、最低でも2000万円以上会社を儲けさせてくれないとダメだよ」と言われたのを、今でも覚えている。

混乱へようこそ

最初に配属されたのは、経営企画部だった。学歴だけはそこそこだったので、いわゆる出世コースの配属とのことだった。風のうわさで聞いた。しかし、経営企画部で私ができたことは、ほとんど何もなかった。

本当に、使い物にならなかったのだ。

まず、Excelが本当に苦手だった。それと、細かい数字をいじくりまわすのも嫌いだった。何より、興味が持てない。他人の金儲けで、何億円儲かったり損しても、全然心が動かない。それは、自分の金じゃないから、全然本気にならなかった。

勤務時間中、仕事でミスをして叱られるか、トイレでうなだれているか、教えてもらった業務内容を記したノートを読み返しては混乱していた。管理会計、財務諸表、売掛金、在庫回転日数、CCC…..。本当によくわからない、興味も持てない概念が毎日現れた。限界利益、粗利益、営業利益、経常利益….。

絶望が""見える化""される日々

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