リアリティとはなんぞや
ウエストランドがM-1で優勝した日、
にゃんこスターのスーパー3助は
一緒に見ていた三四郎・小宮が号泣する姿をツイートしました。
優勝したウエストランドの井口は小宮ファミリーの一員であり、
13年にわたり苦楽を共にした、同い年の朋友。
コンビの芸歴15年を超えて、もうM-1に出場できない小宮にとっては
同じ芸人としての無念と野望を託す思いもあったでしょう、
単に喜ぶとか祝うとかを超えた様々な感情が
「泣く」という行為とともに溢れ出していて
芸人でなくても強く心を打たれるものがありました。
実はその二日前、12月16日放送の三四郎のオールナイトニッポンで、
まさにウエストランドの優勝を想定した小宮が
号泣する芝居を見せるくだりがありました。
「ウゥ〜、ウッ、ウゥゥ〜」と、
喉の奥から小刻みに声を絞り出すようにして嗚咽する姿はある種異様で
目に涙の粒や光が見えるわけでもないし
笑いをねらったものならともかく
演技だったら三文芝居とみなされても仕方のないような出来栄えでした。
しかしこのラジオを聴いていた人ならわかると思いますが
前述のスーパー3助のツイートに写っていた小宮は
部屋の隅をうろうろと歩き回りながら
まさにこのときとほぼ同じ泣き方をしていたのです。
翌週12月23日放送のオールナイトニッポンで、この事態を受けた相方の相田は、
こんなふうにコメントしていました。
相田「(先週の放送で小宮の泣く芝居を見たときは)
めちゃくちゃ下手くそだろ、その泣き方! と思ったけど、
動画で泣いている小宮が、それのまんまでした。
ああ、その泣き方なんだ! と思って。
じゃあごめん、再現度めっちゃ高いわ」
小宮「だから本当なんだよ。
芝居っていうか、本当にあれがそうなんだって」
中高時代からの友人である相田でさえも、小宮があのように泣くところは
目にしたことがなかったということでしょう。
たしかに小宮が12月16日のラジオでこの泣き方を披露したとき
それを本気のアクションだと受けとめた人は多くなかったと思います。
自分もそうでした。
しかしスーパー3助のツイートした動画で同じ泣き方を見て
嘘泣きだとか下手な芝居だとか思う人はいないはずです。
それは紛れもなくリアルでした。
これがどういうことかというと、つまり私たちは、
自分たちにとって「馴染みがない」「見たことがない」という理由だけで
ある人間の行為を「リアリティがない」と判断したのです。
大抵の場合、「リアリティがある」という言い方は、
褒め言葉として使われます。
ドキュメンタリーであれフィクションであれ
リアルであればあるほどいいとされている。
でも仮に小宮が役者としてあの泣き方を披露したならば
果たして監督はOKを出すだろうか。
私たちが求めるリアリティなんて所詮、
自分たちがどこかで見たことのある何かに似ている
というだけのあるあるネタにすぎないんじゃないか。
それ以来、映画やドラマで泣くシーンを見るたびに、
小宮のあの号泣姿を思い出してしまうのです。