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鶴丸と右衛門作と静かの海のパライソ考


1.はじめに

助けてやれよ、救ってやれよ三万七千人!
ただの数字じゃねぇんだ、それぞれ命があったんだ、生きていたんだ、
連れて行ってやれよ、静かの海へ、パライソへ!

静かの海のパライソ

 この鶴丸国永の叫びを聞いた時、心の底まで震えたことを思い出す。

  我々は歴史を文字から学ぶ。書き残された、伝え残された歴史は「物語」となって現代に受け継がれる。だからこそ「島原の乱での一揆側の戦死者、三万七千人」の数字はただ数字としてそこにあった。私達はそこで流れた血を知らない、どのような血が、誰の血が、どうやって流れたのか、知ろうとしなければ知ることはないだろう。
 「ただの数字じゃない」という鶴丸の叫びは、ともすれば歴史を一方向から、文字資料としてしか捉えることの出来ない人間に対する強い皮肉である。この救いの無い歴史を守り、救いの無い終わりに身を切るような声を上げる鶴丸の姿は、我々の心を強く打つ。
 本稿ではそんな鶴丸国永と代表的な人間として登場する山田右衛門作を中心に、この静かの海のパライソという作品について論じ……語っていきたいと思う。

 と、まぁこんな感じで「はじめにぐらいは……」と真面目に書いてみましたが、ここからはミュ限界考察オタクの戯言テイストの文章が続きます。安心して読んでネ。

 なお、以下の文章は全く静かの海のパライソを観ていない方に配慮していない、つまりネタバレ配慮どころか観た人にしか分からないことばかりを書いているので是非ご視聴なさってから読んでやってください。
 それでは、行ってみよう!!


2.鶴丸国永と山田右衛門作


(1)鶴丸が右衛門作に厳しい問題を提起する

 いきなり何を言っているんだ、と思われる方も「確かにそれはそう」と思われる方もいらっしゃると思います。
 葵咲本紀の鶴丸国永と、静かの海のパライソの鶴丸国永。同じ鶴丸なのに何かが違う、何が違うのか?と考えた時、まず頭に浮かんだのが「この鶴丸……右衛門作に始終ドS対応なんじゃないのか?」というなんともくだらない考えでした。でもまあ、一考の価値はあるか……と考え始めた結果、この問題を提起することになったわけです。よく分からんな。 

 さて。鶴丸と人間の関わりとして印象に残る場面に、後半の兄弟を褒めるところを挙げる事が出来ます。敵を石で撃退した兄を褒めるシーン、余談ですがあの「刀ば両手に持っとるおかしかおっちゃん」はかの有名な宮本武蔵でしょう。武蔵本人が島原の乱に出兵した経験があると語っているのですが、その際、子供の投石が足に当たってロクに活躍できずにすごすご帰る羽目になっちゃったとか何とか言っているのでという閑話休題。
 そんな兄弟に対する鶴丸と、本作のキーパーソン、山田右衛門作に対する鶴丸の態度の差。あまりにも厳しめな接し方でしたよね。厳しめと言うより、そこにあったのは純然たる「嫌悪」であったのだろうと私は思うわけです。
 ここで少々、史実における山田右衛門作を見てみましょう。

(2)   歴史における山田右衛門作とは

 作中でも言及されていましたが、ポルトガル人に西洋画法を習ったことのあるエモ作は南蛮絵師として有馬直純・松倉重政・松倉勝家に仕えていました。
 この中でも有馬直純は島原を治めたキリシタン大名として有名な人物です。彼と彼の父である有馬晴信によって、島原の人々の多くがキリシタンとなりました。島原の領民は彼らの政策によってキリスト教の教えを受け、その教えに帰依したとも取ることができ、このキリシタン化が島原の乱に続くと考えることもできます。
 ……さて、話をエモ作に戻すと、彼は島原の乱が発生したときには口之津に庄屋として住んでおり、妻子を人質としてとられたため村人全員とともに城に立て篭もったとされています。城内では天草四郎に次ぐ副将であり、本丸を守備。「天草四郎陣中旗」を描いたのもエモ作です(冒頭で書き上げていた旗のこと)。
 幕府軍との交渉のための矢文の文章の作成もしており、その役目を利用して幕府軍に内通した。内通が発覚して原城の牢に入れられるも、間もなく落城。落城の際は幕府軍に斬られかけたが、矢文を見せたことで助命され生き延び……しかし、幕府軍の総攻撃直前に妻子は一揆勢に斬られます。
 乱の終結後は江戸に連行され、幕府軍の取調べを受けました。その際の口上書は、城内での様子を知る貴重な資料となっており、文献史学ではメインで扱われることが多いそうです。
 その後はキリシタン目明し(目明しとは取り締まり人の意)として江戸で暮らした、もしくは最後に再びキリシタンに立ち帰り、帰郷した後に長崎で病死したとも、海外へ渡航した後に現地で没したとも言われますが、詳細は不明です。
 いずれにせよ、エモ作に対する評価は「裏切り者」などといったマイナスのものがほとんどです。

(3)エモ作と天草四郎の光

 では、この史実を踏まえて作中のエモ作を見ていきましょう。
 史実では「妻子を人質に取られたため、村人全員と共に城に立て籠もった」とされていますが、作中では自ら積極的に天草四郎を祭り上げて「一揆を起こすように扇動している」節がありますよね。また、彼は自ら矢文を持って幕府に投降したのではなく、あくまで信仰を棄てずに(キリシタン史ではこの信仰を棄てることを「転ぶ」と言います)牢に鶴丸の手で閉じ込められ、史実通りの「三万七千人の中で一人生き残った男」となったわけです。
 死んでしまった天草四郎、じゃあ俺達が天草四郎になろう!という流れのスムーズさに隊長鶴丸国永の様々な可能性を考慮したプランニングを感じます。
 確かに、天草四郎という存在の人間離れした逸話や何やらには事実かどうかに怪しい部分が多く存在します。それを逆手にとって、様々な特徴を持った天草四郎を島原に放ち、仲間を集める―――上手い!……じゃなくて。
 しかしながらこれはある意味「エモ作の作り上げた天草四郎信仰」だとも考えられます。
 秀頼の子供、豊太閤の孫というキャラクターを日向正宗に与え、人々を「豊臣(以前の統治者)の血を引く天草四郎というキリシタンの指導者」に縋るように仕向けた。ここで豊臣の名を出せば、現在の統治者である徳川に対する不満を持つ者が仲間に加わると踏んだからでしょう。これも上手い。上手いがしかし、やっていることは民衆の思考停止を助長する行為なんですよね……。豊前江はこれに対して「うそっぱちじゃねぇか!」と言いますが、そうではないのだとエモ作は返す。それは「光」なのだと。
 エモ作の作り上げた天草四郎信仰は光や救いなどの聞こえの良い言葉を使ってはいますが、要は思考停止です。「なぜ戦うのか」「誰と共に戦うのか」「戦いの後にどうなるのか」という考えに至らないように、耳触りの良い言葉で民衆の思考を止めてしまう。「許された」と歌いながら幕府側の首を掲げる。異教徒であるとして寺を燃やす。奪われる苦しみも、奪う苦しみも知っているはずなのに、神の名のもとにひとから奪う。自分達は神に許されたから、そうするのだ。そんな、人々から思考を奪う信仰だったのです。
 鶴丸からしてみれば、一人一人生きている人間から「思考」を取り上げて暴力に落とすエモ作に我慢ならないところがあって当然、というところでしょう。

「一人一人違うんだ、戦をしている理由なんて」
「単純な暴力を選んでしまった段階で間違いだろう」

静かの海のパライソ

 鶴丸が日向と豊前の問いに答える場面で特に印象的な言葉です。ここから、鶴丸は原城に立て籠もる三万七千人を全て個々の人間として捉えているのが伝わります。そして、単純な暴力―――一揆としての蜂起を選んだことを間違いだと言う。それらは全て、この一揆を扇動したエモ作へ帰着します。
 単純な暴力を選ばせた、そこへと追い込んだのはなにも圧政者の側のみではない。仲間に加わるように圧を加え、それしかないという盲目的な信仰を与えたエモ作に対する嫌悪も頷けます。

(4)でもエモ作もしんどかろうもん

 と、まぁここまで割と鶴丸に寄った考察だったのですがね。
 冷静になって考えてみると、これ、エモ作もしんどいじゃんねとなったわけです。ではここで「エモ作を含むキリシタンが暴力を手段として選んでしまったのはなぜ?」という問いについて考えていきたいと思います。鶴丸の言うことに概ね納得は納得なのですが、キリシタン史をほんのちょびっと齧って来た人間なので少しだけ言及しておきたい。当時のキリシタンについて。
 まずどのような圧政が敷かれていたのか、浦島くんがキリシタンや民衆と付き合う中で知った弾圧を語るシーンがあります。あそこの鶴丸も厳しめでしたがそれはさておき。「松倉重政」でググってうぃきぺでぃあを読んでもらうと分かるのですが、当時の弾圧は本当に厳しいものでした。
 少しだけそこに触れる前に、まず前提として、全ての民衆がキリシタンではないというところから始まります。彼らの暮らしは等しく島原藩主松倉氏による圧政によってかなり荒廃していました。

①松倉氏以前の島原
 江戸時代に入り、江戸幕府による禁教令(1613年)が発令された時の島原藩主は有馬直純でした。彼の父、有馬晴信はキリシタン大名であり、その息子である直純もまた洗礼名を持つキリスト教信者であったといいます。
 しかし、禁教令が出た事で状況は一転、直純は棄教します。領民や家臣にもキリスト教を諦めるように説得しようとしますが、彼らは棄教を拒みました(その結果、三人の重臣が火炙りに処されることとなる)。

②松倉氏の島原藩
 その後、藩主が松倉重政に変わると、キリシタンの弾圧はより過酷さを増していきます。重政はそれまであった原城(一揆が立て籠もることになる城)を廃城にして、新たな城として島原城を築城するための予算を確保するために領民たちに通常の倍の年貢を課しました。
 加えて、1634年からの3年間、島原では凶作が続いたことにより米の収穫が芳しくありませんでした。そのため、松倉勝家(重政の息子)は、米や麦だけでなく煙草や茄子の実まで年貢として厳しく取り立てたとされます。
 こうも厳しく年貢を課せられると、おのずと納められない者が出てきます。勝家はこれに対して見せしめの意も込めて拷問を行ないました。
 さらに、キリシタンへのきびしい弾圧も継続しています。この時、島原藩だけではなく、天草藩の領民たちもまた同じように苦しめられていたといいます。

 そういうわけで、キリシタンもそうでない農民も等しく苦しい生活を送らざるを得なかった島原、天草です。
 そんな中で起こった島原・天草の一揆。これを指導したのはキリシタン大名の元家臣が主であったと言います。 
 先述の有馬晴信・直純の家臣たちは、有馬氏が島原を去ったのちも島原に残りました。しかし、松倉氏が家臣を率いて島原に入って来たことにより厳しい立場に立たされた末に、武士身分を剥奪され、百姓へと転じ領民を指揮するようになっていきました。
 そのため、元武士達は領民の中でも力を持つようになり、彼らを中心に組織化していった結果、一揆勢となっていったのです。故に、この一揆に関しては「人数の多く、元キリシタン大名の家臣を中心にまとまったキリシタン達とそれに呼応した(呼応せざるを得なかった)領民たち」によるものと考える事が出来ます。
 「もうどうにもできない、訴えを聞くようなお上ではない、ならばどうするか、武器を手にして立ち上がるのみ。もう我慢の限界だ」となったというわけです。
 たちが悪いというか、それが特徴というべきか。島原のキリシタン達は、苛烈な改宗運動を行います。作中でも、日向と豊前の目の前で起こった争い、松井と浦島の目の前で起こった寺の焼き討ちなどがありましたが、その通りです。一揆に加わるのみならず、改宗を求め、その行動は次第に苛烈さを増し……1637年(寛永14年)12月11日、有馬村のキリシタンたちが代官所に押し寄せ、代官の林兵左衛門を殺害した事件が皮切りになり、「島原の乱」は勃発したのです。

 現代に生きる我々でも、この集団心理、同調圧力に抗えるかと聞かれれば答えは否、でしょう。彼らに残された道は「暴力」しか無かった、だからこその知恵伊豆の「誰もが後悔せねばならぬ」というところに落ち着くわけです。
 これはどうしようもなかった、だからこそ、いくさの無い世の中にしなければいけない……知恵伊豆のことも「お前さぁッ……!」となりましたね。というかこのシーンの鶴丸国永超ディスコミュニケーションお化けでしたよね(悪口言うな)。知恵伊豆からしてみれば、突然乱入してきた天草四郎が「共有したかったんだ」とか言い出して「What????」だったと思います。でも、二人が近い立場にあることは理解できる。上手い塩梅ですね。うめ!
 と、まぁ話が逸れましたが、やっぱり鶴丸国永は厳しい。
 「きみが選んだんだからきみが決着をつけろ」と言い放つ鶴丸。エモ作も「歴史の中の弱者」に変わりないと言うのに……そこにはどこか自分と重なるところがあったからこその、同族嫌悪なのかもしれないと思ったのであります。

3.浦島虎徹と兄弟


 ここからは気になった点にスポットライトを当てて語っていこうと思います。

 刀ミュくんはいつからこんな残酷物語になったんですか???????(わりとそんなかんじ)
 兄弟刀の存在を強く感じている浦島虎徹という刀に、身寄りの無い兄弟をぶつける鬼脚本ですよ。
 比較的新しい刀故、そして箱入りだった故に世の中を良く知らないというところで、我々観客の案内人としてこれ以上に相応しい男士はいないと感じます。我々人間と近い受け取り方、刀としてのピュアさがあって感情移入しやすい存在だったのでは?しかし、その愛すべき純粋さがどんどん曇ってしまうのではないかと心配していたのですが、浦島虎徹、強かった。兄ちゃんは誇らしい(誰だよ)!
 そもそもがこのパライソに登場する男士達は「時間遡行軍を斬ることに躊躇いはない」「人を斬ることにはまだ躊躇いが」あります。これは顕現したばかりである故か、これほどの任務を経験したことが無い故か……そんな彼らを選出し、トラウマや人間のエゴや純粋な暴力や抗えない歴史をぶつける鶴丸スパルタ国永隊長よォ……。
 トラウマ量産機鶴丸ですが、浦島には一定の配慮を示していました。
 最後の撫で斬りを見せまいと釣りに送り出す鶴丸国永、スパルタ国永ですがしっかり隊員のケアはできるというわけである……しかしそうやって大事な局面で切り離しておくというのに、なぜ浦島を編成したのか。
 思うに、浦島の人に寄り添う情や優しさ、素直さというのは「かつて鶴丸国永が持っていた、表に出せていた優しさ」なのではないでしょうか。
 浦島虎徹という男士がいるから、寄り添える優しさを持っている男士が一人いて、その一人がいるからこそ、鶴丸は非情に徹することが出来る。あの兄弟に優しく接していた鶴丸国永の姿こそが、本来の鶴丸国永。そう考えると浦島くんの存在の重要さが染みてきますね(号泣)。
 あの兄弟の弟は物部として、そして兄は「天草四郎」としてその一生を終えます。鶴丸がずっと首から下げていたロザリオを兄の亡骸に掛けた時、あぁ、そういうことか……と合点がいきました。
 静かの海のパライソにおける「天草四郎」とは、民衆の光であり、たとえそれが暴力という手段であったとしても立ち上がった民衆の全てを表しているんじゃないかなぁ……歴史に名を残さなかった三万七千人の象徴としての天草四郎、それが兄の首から上が照らされるシーンで迫ってきました。しんどい。
 そして二部の「戦うモノの鎮魂歌」……泣かせに来るなよなァ!!!個人的にはあつかしよりも歌詞が本編にリンクしていてしんどかったです。兄、よく頑張ってたね……。

4. 寄り添う大倶利伽羅

 大倶利伽羅ですよ、大倶利伽羅。
 大倶利伽羅はずっと鶴丸の側にいました。誰よりも深く理解していたし、誰よりも近くで、誰よりも早く動いて支えていました。「浦島には見せたくないだろう?」の二人のやり取り。その関係は優しくも厳しく……。
 この大倶利伽羅はみほとせを通して人の一生を(榊原康政として)経験しています。だからこその余裕というものが随所にあったように感じました。そんな大倶利伽羅を背中を預ける事が出来る存在として鶴丸が編成したのなら、本当に鶴丸国永という男士の思慮深さに敬服です。
 ですが、大倶利伽羅もただ優しいだけでは無いのでしょう。
 「静かの海」を歌った後の場面、大倶利伽羅は「いつか行ってみたいなぁ」と言う鶴丸に「そうだな」と返します。この「そうだな」は本心から「静かの海」へ行ってみたいと思っているように感じました。
 これってもしかして「戦を全て終えたら」と同じ意味なのでは?静かの海とは、いつか人々が行きつく場所。何もない、寂しい場所。風も吹かない、寂しい場所。
 大倶利伽羅や鶴丸にとって、人々が天草四郎という光に縋る(信仰)ことと同じ意味を持つ場所、概念こそが「静かの海」なのではないでしょうか
 刀ミュにおける「海」はきっと死の概念なのではないかなぁと思う今日この頃です。そして死とは、人間の生死のみならず、物語が忘れ去られる事やそのモノがあったことが忘れ去られる事に通じているのでは。とかなんとかずっと考えこんじゃう……
 2部倶利伽羅やばくなかったですか????????

5.日向正宗と豊前江の存在

 この二振りの存在は、ある意味「静かの海のパライソ」という作品においては異質でした。

 まず日向くん。この六振りの中では最も常識人に近いんですよね、多分思考が。それ故に弟を庇って死んだ兄に対してかける言葉が響く。私達も作中で民衆が日向くんに光を見出したように、いつのまにか彼の存在を光に感じていた部分があるのでしょう。それは「次はうまくやろう」と常に努力し続ける日向正宗という男士の在り方にも通じています。
 彼がいるからこそ、鶴丸の「歴史から学ぶしかないんだ」という言葉の重みが増す。石田三成の刀としてあった日向くんが「次は……」と励むのは、かつての主という歴史からのこと。困惑しながらも民を導く「光」となった日向正宗の美しさにひれ伏したい気持ちです……エモ作音頭(勝手に名前を付けるな)の中で、人々の手に縋られる日向くんはライティングの妙もあり、本当に宗教画のような美しさでした。
 また、彼の作る梅干しが任務から帰還した頃に完成するというところから時間経過を表しているのが上手い。ところで大倶利伽羅さん、もしかして味覚壊人(みかくぶっこわれんちゅ)ですか……
 と言う話はさておき、そう言えば日向正宗を打った正宗と豊前江を打った郷義弘は師弟関係にあります。この二振りが一緒に行動しているのを見て「師弟コンビじゃ……!」とちょっと嬉しく思いました。閑話休題。

 ね、そうね、豊前江ね!!!!
 多分豊前江がいなかったら松井江は失踪していたと思います。メンタルケアというか支えというか、いなくちゃ駄目な存在ではあったはずなのですが、どちらかと言うと物語の本筋に食い込んで来る感じでは無く、松井との対話、鶴丸との対話などの随所で力を発揮していた感じ……。
それ以外で特に印象的だったのが「その質問、俺に聞いちゃいけねぇやつだぜ?」とエモ作の質問に答える割と序盤の場面です。いずれの家中のものかという問いに対してのこの反応。「いいねぇ、語れる来歴のあるやつは」「豊前江にはないの?」「お化けみてぇなものなんだよ、特に俺はな」と続きますが、このやり取りの意味は東京心覚に答えがあります。というわけでそこらへんも後に譲るとして(ちゃんと心覚の感想もアップしたい)。
 とにかく良いあんちゃんです。幕府側に松井と共に潜り込んで、そして幕府側として民衆を虐殺しろという命令に対して表情が固まった瞬間、心底の困惑と松井への心配が無言から伝わって来る演技。松井江のトラウマに言及し、怒り、それを強いることを糾弾するかに見えた緊張感の高まり……その頂点からの押し殺すような、折り合いをつけたような「あんがとな」「向き合わなくちゃいけないことって、あると思うんだ」という感情の完結までの流れが本当に美しい。豊前江という男士の、賢明な青年の持つ凛々しい美しさがあの場面に詰まっていて好きになってしまいました。
 多分この時、鶴丸は「あんたは鬼だ」と罵られることを覚悟していたのでしょう。だからこその豊前の言葉に対する困惑の表情。珍しい顔が見れてしまったのと同時に、鶴丸の苦悩の一端が伺えます。鶴丸がそれに負い目を感じながらも松井江を編成したということに大きな意味があると、この場面で納得することが出来たように思います。割とほら、始終松井に厳しめの鶴丸だったので……。
 この部隊の隊長としての鶴丸、江のりいだあとしての豊前。
 「背負う」隊長の鶴丸と「受け止める」りいだあ豊前の違いも含めてこの二振りの関係性……鶴丸としても豊前の成長っぷりには驚いたのではないでしょうか。風のように去っていった豊前の背に送る「はやいなぁ、あいつ」という言葉は、勿論足の速さも含まれているとは思いますが、その成長度の速さに対する言葉だったのだと感じます。
 鶴丸の苦悩、その意図に辿り着いた速さを純粋に賞賛していたのでしょう。うーん、好きな場面です。
 そしてこの鶴丸の背中を見た経験が、豊前江の東京心覚での行動に繋がっているのだと気付いた時。思わず天を仰ぎました。なるほどね……しんどい(語彙力)。
 2部の豊前は言うまでも無く素晴らしかったです。脱ぎ曲で発狂したのはだーれ、はーい、わたしー!

6.松井江の業

 松井江は、八代藩主であり肥後熊本藩の筆頭家老、松井興長の持ち刀でした。

 作中に登場する赤と黒の羽織を纏った人物こそが松井興長その人であり、印象的な朱鞘の刀こそが「名物 松井江」です。
 興長は原城攻めの最終局面、撫で斬りに参加しました。それまでは肥後熊本藩主細川忠利の命を受けて、派兵の手配や幕府・他藩との交渉に奔走する裏方の仕事が多かったようですが、確かにこの撫で斬りには参じています。
 「キリシタンの血を吸った」刀として、他人(他刃)に簡単に話せないトラウマを抱えている松井江を今回の編成に組み込む鶴丸スパルタ国永の手腕です。始まって三分ぐらいで絶命するかと思いましたね、こっちは。
 演出としても、血にこだわる松井江という印象がしっかり付くような序盤のソロ、台詞の数々と上手い事やっていますが、うまい事やられればやられるほどこっちのダメージがでかいんじゃい。というのはさておき。

「僕は……僕は……ッ!」
「目を閉じるなァ!!!」

静かの海のパライソ

 もうね、痛々しいにも程がある。この場面の鶴丸のあまりの厳しさに吐くかと思いました。気持ちは分かるけど、分かるけど。
 原城攻めの序盤では殺すことに強く抵抗を覚え、振りかざした刀を行き場なく降ろす。そして、かつての主である松井興長の言葉によって自らを奮い立たせて「刀剣男士」として刀を振るう。
 そこからのこの仕打ち。浦島と仲良くしていた兄弟を、部隊の中で最も長く見詰めていたのが松井江でした。兄が一揆に加わる事を躊躇う姿も、仲睦まじい兄弟の姿も。でも、それでも松井江は幕府の側に居て、歴史を守るためには「三万七千人」の全てを殺さなくてはいけない
 歌合で、八つの炎によって八つの苦悩を抱えながら、それでも「生まれた意味は問い続けよう」と歌い顕現した松井江という刀剣男士は、島原の地で常に鶴丸の指示に戸惑いながらも問い続け、向き合います。
 自らが刃として切り裂いたキリシタンの血を業として抱え続け、同時に問い続けることをやめない。信仰という光によって思考停止してしまった民衆のあらゆる面において対極にあるのが「松井江」であり、だからこそ向き合う事を余儀なくされた
 歌合における「なぜ我を生み出した」という松井江の問いと、兄弟の歌う「ここに生を受けた」「生きるその意味」「死にゆくその意味」「教えてください」という問い。
 改めて「問い続けよう」と覚悟して顕現した松井江がこの「静かの海のパライソ」という作品の中で、島原の乱の中で、迷いながら、問い続けながら任務を遂行する姿が美しく哀しい。痛々しい涙を流し、鶴丸をぶん殴り、きっとこの松井江は「赤い血を忘れるな」という言葉を胸に刻んで、これからも任務に赴くのでしょう。けどほんと、ほんと苦しい……。
 こんなことをぐるぐる考えているから、わたしゃ松井くんが歌ったり踊ったりしている姿を見ると泣いちゃうんだ……強くなったね……でも鶴さんちょっとだけもうちょっとだけ優しくしたげて……。

 どうしたらいいか分からない感情を込めてあの強肩で松井江が鶴丸をぶん殴るシーンが大好きです。仲直りできなくってもにょもにょしてる女子中学生みたいな松井江が大好き。あの美少女みたいなお顔から繰り出されるハスキーなバリトンボイスが大好き、Supernova の松井江の長い足の下にキャンプしたいよね。脱ぎ曲の肩どうした。細い足首が美しいよね。

問い続けることをやめない、そう覚悟して刀剣男士続けてる松井江が大好きです



7.おわりに

 途中ちょっと自我が漏れて大変なことになっていた気がしない事も無いですが、まぁそれはさておき。
 「静かの海のパライソ」という作品は、歴代最多のアンサンブルの方々と西洋演劇の手法を用いて作られた素晴らしいエンターテイメントだと思います。単純な「一揆VS幕府軍」ではなく、今作では「白でも黒でも無い立場、青や赤もいるだろう」と言う通り、単純な対立構造ではなく本当に「史実に材を得た物語」になっていました。だからこそ心に響く、ともすれば大打撃です。もうね、めちょめちょになりましたよ。この作品に出会ったからこそ、私は2.5に再びハマり、今に至ります……という話はさておき。
 
 この物語に出会えてよかった、と思うと同時に心に残ったもやもやにある種の答えを与えてくれた東京心覚の感想もいずれちゃんと上げたいです。という所信表明でもってこの場は締めさせていただきます。

 静かの海のパライソに出会えてよかった!!!!


【参考文献】
神田千里2018「島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起」講談社
五野井隆史1990「日本キリスト教史」吉川弘文館
高瀬弘一郎2001「キリシタン時代の文化と諸相」八木書店

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