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わたしが決めたこと。


今朝も、てんの鳴き声で目が覚める。

おはよ〜。今日も早起きだね〜。抱き上げて、よしよしして、少し遊んだら朝ごはんがルーティン。

今日はてんの去勢手術の日。

朝ごはんは、抜いてくださいと言われていた。

お水だけ取り替えて、後は病院の時間まで自由。

ねえ!忘れてるよ!てんのごはんは!?

と言わんばかりに鳴いて訴えるてん。

うう……ごめん、ごめんよ……忘れてるわけじゃないから、ちゃんと分かってるから。

撫でたりして宥める。わたしのではないお腹の音がする。凄まじい罪悪感……。


今日の日を迎えるまで、ずっと今日のことを考えていた。

てんの大事な体の一部を、取り除くということ。それが、例えてんのことを考えた結果とはいえ、取ってしまうことには変わりなかった。

何度も、何度も、

「てんに相談ができたら」

と思った。

しかしそんな想いも、やはりわたしのエゴに過ぎないという結論に至っている。

わたしの決断の責任を、てんと分けようとしてしまったのだ。「てんも良いって言ったから」という事実を欲してしまった。

そもそも、生き物を飼育する時点で、生きる上の事柄の決定権は人間側にあって、猫の気持ちを尊重できても、実際どうなのか聞くことはできない。

よくよく観察して、どう感じているか察することをしていても、正直分からないことばかりだ。

ごはんも、おやつも、てんが使うものも、全部わたしが決めてきた。

それらを決める時だって、てんと決めれたらなと思ったけれど。

決断の重圧に耐えられないからって、そんな時ばかりてんの気持ちが聞きたいだなんて、今更そんなこと思っては、てんに失礼だと目が覚めた。

そうだよ、てん。わたしが決めたんだ。選べる状況の中で、わたしが決めたよ。

てんと、1秒でも長く一緒に居たいと願ったんだよ。これもわたしの希望なの。

その結果、てんに怖い思いをさせてしまうとしても。

決めたことひとつひとつ、わたしが責任を取る再認識をした。

自分とは違う意志を持った生き物と暮らすということは、こういうことの連続なんだよね。これからも。

てんがうちに来てくれた日に、そう覚悟したはずだったけど、やっぱり自分で決めることって怖いんだな。

自分以外が絡む決断は特に。


もう何度か訪れた病院へ行き、てんを預けて帰ってきた。

ガランとした部屋。

こんなに静かだったんだっけ。

あれ……。夕方帰ってくるって分かってるのに。あちこちに散らばったてんの気配が確かにあるのに、てんが居ないってこんなに切ないの?

だめだ……。家に居れない……。

あんなに小さい体のくせして、この2ヶ月で、てんはわたしの中でこんなにもむくむくと大きくなっていた。

まだうちに来てくれて2ヶ月だって。

もうずっと一緒に居たような気がするな。

ここ1ヶ月続けてこられた日記にも、感謝していることとして綴っているのは、うちにてんが居てくれることだった。

てんが元気で、ごはんを食べてくれて、うちに居ることは、なんと小さな奇跡の上に成り立っていることか。

今日の半日は、「うちにいるてん」の奇跡が崩れ、わたしは悲しくって家出しているところ。

情けない飼い主でごめんよ、てん。

今頃、てんは頑張っているところだ。

無事に終わって、元気な顔を見せてくれることを祈りながら、迎えの時間を待つ。家出先のファミレスでこれを書いてる。

帰ってきたら、いっぱいいっぱい褒めて、大好きなスペシャルごはんを食べようね。


頑張ってくれてありがとうを伝えさせてね。


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