27歳ひとり暮らし(猫)
わたしはこの年齢になるまで、ひとり暮らしというものをしてこなかった。
実家暮らし→同棲→同棲解消を経て、ひとり暮らしを選択した訳だが、ああ、今が一番自分を安心させられていると実感する。
ひとり暮らしの部屋というのは、不可侵領域なのだ。
家に帰ればひとりになれる。
自分が好きじゃないものは置かなくていい。
自分の納得する清潔を好きなだけ保てる。
好きなことに好きなだけ集中できる。
なぜもっと早くひとり暮らしを選択できなかったのか、とまで思うが、実家暮らしと同棲を経ていることがとても重要だったように思う。
もともと、ひとりでいて寂しいと思うことがほとんど無く、人と居るということに対しては、「まあ分け合えたらそりゃ楽しいだろうね」位の認識。
誰かと居る以上、その人のことも念頭に置くことになるわけだ。
しかし、もう一体どのラインまで考慮すべきなのかも結局未だ分からず、思考の深みにハマることになってしまうのだ。頭の中で選択肢が無限に分岐するイメージ。
わたしはあまり気を遣われるのが得意(?)ではなく、「社交辞令」とか「お返し」とか、こうすべきで働きかけられたことはうまく受け取れない性質がある。
相手はどうだろうか。社交辞令を当たり前に受け取ってくれるだろうか。しなくては失礼になってしまうだろうか。
あ、あれだ。よく巷で京都の人はオブラートに包んで実は嫌味を言ってるんですよ〜みたいなあれが怖い気持ち。
「ありがとう」「どういたしまして」などの気持ちの投げ合いはとても重要に思うが、本心でないかもしれない行動に対して身構えてしまう。
もうわたしに何も期待しないで欲しいのかもしれない。パトラッシュ、疲れたろ……僕も疲れたんだ……。
それなのに、議論はとても好き。そればかりはひとりでできるものではないので、あーでもないこーでもないを言い合える人が現れないかしらなどとワガママを言ってる。(それなー!の相槌のみは議論にならないから寂しい。)
家族と、家族じゃなかった人と、住んだ経験を踏まえた上で今が気楽なんだから、もうあまり文句はない。同棲せず今に至っていたら、同棲に憧れ続ける日々だったかもしれないし。
人付き合いに対して、克服したいという思いはあれど、自分が嫌なことはしなくても良くねー?と自分の中のギャルが申しているので、できるだけ自分がホッとできる毎日を作り出している。
そういったコントロールができるのが、ひとり暮らしの最大の魅力に感じる。
世間一般では、寂しい人という括りになるかも知れない。友達は多い方が良い。結婚はしていた方が良い。
確かにそう。頼れる人は居た方がいいに決まってるし。
猫と暮らすと決めた時も、少数だけど「結婚前に良かったの?」という声もあった。
もし結婚という未来があるとしたら、その人はわたしよりも猫を優先できる人というのが絶対条件である。
家が火事になったらわたしより猫を助けて欲しい。
そんな考えなので、猫が先だろうが結婚が先だろうが関係のなかったことなのだ。
ひとり暮らし万歳。猫との暮らし万歳。わたしはひとり暮らし、とても向いている。
では、今までの別の暮らしはダメだったのか?
それがそういう訳でもなかったのが不思議で、どこで暮らしたことも確実にわたしの財産になっている。
そういうふうに思える今で良かったと思う。
少々元気すぎる同居猫と一緒に、暫くの安寧を過ごすことにする。
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