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「戦闘態勢に惹かれる」嬉野さんの言葉の切れはし#320

近頃は、「癒される」なんてことばが気軽に使われるようになって、可愛い顔のものや、呑気な顔のものをよく目にしましすが、ぼくは、そういう顔より、この闘う気満々の狛犬の顔の方が、よっぽどありがたいと思いました。邪気を祓いそうな顔なんです。
ーー嬉野雅道

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嬉野です。
さて、藤村先生が岩手出張から戻ってきてから、彼の机の上に気になる物が置かれるようになったのです。
それは、ちょうど手のひらに乗るくらいの比較的小さなもので、その姿は四つんばいになった二匹の獣のようなのです。
二匹並べて置いてあるところから、おそらく二匹で対(つい)の物なのだろうと思いました。
四つんばいで二匹並ぶ。
そうです、一見したところ、それは神社の狛犬(こまいぬ)のように見えるのです。
しかし手にとって見ると、その顔は、ぼくが日頃見慣れた狛犬の顔ではなかった。
神社の狛犬といえば、犬というよりは獅子のような顔で、姿勢も四つんばいというよりは、きちんとお座りするような上品な感じです。
ところがこの小さな置物からは、そんな上品な感じは受け取れなかった。
だって、四つんばいという姿勢が、すでに上品ではないわけです。
四つんばいという姿は、いやらしいほど獣ムードが漂うのです。
それに加えて、顔が奇妙なのです。
もちろん獅子のような顔でもないのですが、かと言ってそれは、犬の顔でもないのです。
人面とも言えるような鼻と口なのです。
しかし耳だけは犬のように垂れた耳。
とにかく、ごつくて怪しい顔なのです。
こういう顔はどこかで見たことがあったなと、唯一思い出すのは、仏像のね、脇に立ってる四天王だか神将像だかがほら、足で踏みつけにしてる悪鬼の顔ね。
似てると言えば、あれに似てる。
ただ、表情にあそこまでの嫌らしさはない。
もっとお人よしのような表情。でもって、ものすごくごつい顔。
とにかく心惹かれるのです。
出所を確かめようと、ぼくは、藤村先生に聞きました。
「その置物って、なに?狛犬かい?」
「そうそう、狛犬。これの本物が、ちゃんと神社にあるのさ」
「え!本物が神社にあるの?」
「あるある。ほら」
と、藤村先生は、携帯で撮影してきた画像をぼくに見せてくれました。
確かに同じ顔なんです。
そして神社の境内に、あの狛犬の大きさで、やっぱり普通に並べて置かれてるんです。
本物は石造りでしたが、置物の方は黒くて、手のひらでずしりと重い鉄でした。
「南部鉄器らしいよ」
「なるほど。岩手だからね」
とにかくい好い顔なんです。とても。
心惹かれる顔なんです。
ずっと見てても飽きないんです。
近頃は、「癒される」なんてことばが気軽に使われるようになって、可愛い顔のものや、呑気な顔のものをよく目にしましすが、ぼくは、そういう顔より、このごつい顔の方が、よっぽどありがたいと思いました。
邪気を祓いそうな顔なんですよね。
ようするに、いやらしい獣のような四つんばいの姿に心惹かれるのは、それが獣の戦闘態勢に見えるからですね。
この二匹は、闘う気満々なのです。
闘う気満々の狛犬なんです。
そこに惹かれて惹かれてしょうがないんですよね。
いったいどんな時代に、どんな人がこの狛犬二体を作ったのでしょうか。
好いものを作ったもんだと思いました。
そうして、この狛犬一対を置物にしようと思った方の心根が天晴れと思えてなりませんでした。
やっぱり岩手はワンダーランドなのでしょうか。
そして、そのワンダーランドのワンダーさを受け継ごうとする人を未だに育てている所なんですよね。
そこが凄いと、わたしゃ思いました。
いつかぼくも、あの狛犬のいる神社に行ってみたいものだと思いました。
ま、本日はね、こういうところでお仕舞いですね。
じゃぁまた明日、お会いいたしましょうね。
解散!
ーー嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)