「今あるべきドラマ」嬉野さんの言葉の切れはし#310
『チャンネルはそのまま!』には、慰められて胸打たれる瞬間がある。泣かせるように、感動的に作っては「いない」、そういう演出がなされ「ない」ところで、幸福感を受け取ってしまって、涙するという瞬間がある。
--嬉野雅道
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『チャンネルはそのまま!』はね、本当に何か、目新しいことはひとつもない、ドラマです。
雪丸花子という成長することのない主人公。
でも花子はいつも変わらず、いろんなものに興味を持ち。
そのことに集中して、「なんだろう、なんだろう」と考えている。
そして、思いついたことを「これだ」と思えばやりたくてしょうがない。
他人にいろいろ未熟な部分を指摘されて、ハッとするんだけども、でもまたやりたいことが思いついたらやってしまう。
そういうやつが、世間並みの評価とは違う、まったく潮流の違うところを、自儘(じまま)に生きている。
っていうことの姿になんかこう、ホッとすると同時に、慰められて胸打たれるっていう。
そういう涙が溢れる瞬間っていうのが、このドラマ『チャンネルはそのまま!』の中には、ただ、ある気がするんですね。
泣かせるように、感動的に作っては「いない」、そういう演出がなされ「ない」ところで、あの、幸福感を受け取ってしまって、涙するという瞬間がある。
その、日常的な幸福感に包まれるっていう瞬間を受け取るとき、観る人たちは「今自分たちが生きている時代がどういう時代なのか」「何が足りないのか」っていうことに、その瞬間、気づく。
このドラマを観ることによって気づく。
そういうことを気づかせることができる、そういう慰めを与えることができるドラマに、実は仕上がってるっていうことが、ぼくがいちばん……、ぼくがいちばん「良かったなー」っていう。
なんかこう、そういう気持ちを噛み締めてしまう、実は、理由のような気がするんです。
--嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)