「自分は変えなくていい。カメラアングルを変えてみよう」生きづらさを楽しむ生存戦略。(8月号対談再掲載)
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「今が一番ハッピー」嬉野ディレクターの30代、40代、50代。
嬉野:
さっきの第一部では、カツセくんが最後の最後にやっと質問してたね。
カツセ:
僕のせいみたいに言わないでくださいよ(笑)。
T木:
残り5分で、ひとつ目の質問を。
嬉野:
その辺から濃い話になっていったもんね。
カツセ:
と、思ったら終わりましたもん。
嬉野:
ということでオレも早速、質問してみてほしいな。何かあるんでしょう?
カツセ:
あります、あります(笑)。嬉野さんは7月7日に還暦を迎えられたじゃないですか。
(会場から拍手)
嬉野:
この中で還暦の人はいますか? さすがに、いないですね。誰ひとりとして、この高みにはまだ辿り着けていない。
会場:(笑)
カツセ:
嬉野さんには、60歳になったからわかる30代、40代、50代ってどういう年だったんだろうっていうことを聞いてみたいです。
嬉野:
オレはね、今が一番ハッピーなんですよ。ここ4、5年はずっと「今が一番ハッピーだ!」っていう気持ちなんだよね。
オレもさ、やっぱり若い頃は世の中の型になんとかはまろうとしてたんだと思うんだよ。だけど、ここ数年で、そういう考えから解放されてきたことで、今のオレはこんなにハッピーなんだろうって思うんです。
カツセ:
確かに自由そうだなというのは感じますね。
嬉野:
そうでしょう。考えてみるとさ、オレはたぶん、あんまり実務をやっちゃいけない人格なんだと思うんですよ。今はほとんど実務もやってないんだけど、そういう状態に早く辿り着ければ良かったなと思うよね。
だけど、そういう状態に辿り着くなんていうことが、現実的に可能かどうかってわからないじゃない。
カツセ:
そうですよね。
嬉野:
20代、30代だもんね。当然でしょう。
カツセ:
その頃は、ディレクターとして必死にやられてたわけですもんね。
嬉野:
いや、ディレクターとしても怪しかったんだけど(笑)。怪しかったんだけどさ、それでもなんとかやってて。でも、そこで、ちょっとカッコつけなきゃいけないって気持ちが、やっぱり若い頃にはあったんだよ。
だけど、最近はもう、たがが外れるように「オレは、オレだしな」と思うようになって。
カツセ:
それって、いつ頃からですか?
嬉野:
つい最近だと思うよ。えーっと……2010年くらいかな。その頃に、HTB がドラマを作ってたんですよ。ヤスケン(安田顕)が出ている『ミエルヒ』とか、『幸せハッピー』とか。
で、オレはドラマの企画をやり始めてさ、脚本家と打ち合わせをしたりなんかしてたわけ。その中で、自分にはドラマの演出っていうのは無理だと思ったのよ。これを全部責任持つのは、ちょっとプレッシャーだなって。
カツセ:
はい、はい。
嬉野:
じゃあ、ドラマ作りにおける役割としては、プロデューサーをやるっていう選択肢しかないんですよ。現場の人員っていうのは、「ディレクター、プロデューサー、以上!」みたいな感じだから。
カツセ:
ポジションとしては、そのふたつくらいしかない。
嬉野:
そう。でもプロデューサーは、お金の管理もできないといけないし、沢山のスタッフがいるチームの屋台骨にならないといけないわけでしょ。それも、オレには無理だなと思って。
でも、でもさ、現場にはいたいなぁと思って。
カツセ:
だんだんワガママみたいな感じになってきましたね(笑)。
会場:(笑)
「何もしていなくても、その場に君臨していたい」という理想像。
嬉野:
企画をやって脚本家と打ち合わせしてるから、本の中身には思い入れがあるわけよ。だから現場にはいたい。でも、ディレクターも、プロデューサーも自分には難しい。それでも、口出しはしたいなぁと思うわけですよ。
カツセ:
ふはは(笑)。
嬉野:
演出家が考えた演出をね、ロケハンの時とかにさ、「違うんじゃないかなぁ」とか言いたい。
それで、「結局、オレは何がしたいんだろう?」って考えてみたら、「何もしないけど、その場に君臨したい」という結論に至ったんだよ。
会場:(笑)
嬉野:
オレは、そういうのが好きなんだって気づいてさ。振り返ってみると、ずっとそういう人生だったかもしんねぇなって思うところがあったわけ。
カツセ:
「ずっと」というのは、『どうでしょう』時代もってことですか?
嬉野:
『どうでしょう』も振り返ったらさぁ、そりゃあオレも編集をやってたし、カメラも回してたし、いろんなことはしてたんだけど、結局何をやってたかといえば「藤やんの話し相手」になってたんだよね。
彼が「こうしたいと思うんだけど」って言ったら、「それいいんじゃない」とか言ってさ。
カツセ:
なるほど。当時を振り返ってみても、そういうポジションだったと。
嬉野:
みんな冷静に振り返ってみればいいと思うんだけど、人間って「同じことしかやってない」んじゃないかなと思うんだよね。実は。
嬉野:
ただ、自分が必死に何かの型にはまらなきゃいけないとか、どっかで足がかりを作らなきゃいけないとか、カッコつけたいとかさ、年代によって立場や環境が変わるから自分では気づきにくいと思うんだけど、実はどの年齢でもずっと同じことをしてるんじゃないかなと思って。
50代60代になって振り返ると、どの世代でもやっぱりオレは同じようなことしかしてなかったじゃないかなと思うわけ。
カツセ:
ほぉ〜。
嬉野:
その「同じことしかしてなかったっていう本来の自分」と、「オレは、そうやって生きていってもいいんだ」っていう気づきが合致すると人間はハッピーになるんじゃないかと思って。
カツセ:
なるほど。それを自覚したときにハッピーになるわけですね。
嬉野:
そうそう。だって「何もしないけど、その場に君臨したい」なんて、そんなことを許してくれる社会はないでしょう?
カツセ:
それを30代で言ってたら殴られてますね、完全に。
嬉野:
そうでしょう。でも、なんかそういうことを、もう言ってもいいんじゃないかっていうくらいのタイミングがあって。ただし、そうやって思ったところで、裏付けなんてものはないんだけど。
カツセ:
そうですよね。誰かがその生き方を確保してくれるわけじゃないですしね。
嬉野:
でも結局、実務作業を一切放棄して、口だけ出すっていうのは一番ハッピーだという気持ちがあるんですよ、オレの中には。
おかしなことを言ってると思われるかもしれないけれど、でもおかしなことではないんじゃないかなって。
カツセ:
だって、それが好きなんだもんっていう。
嬉野:
そう、そう。
嬉野:
それにさ、「何もしないけど、その場に君臨したい」というポジションでも、オレは作品に利益を出してるっていう気はするわけ。オレが口を出すっていうのは、よっぽど見えてるときなんですよ。そこはオレ以外、誰も見えていないだろうっていうところに口を出すわけ。それを取り入れるということによって作品は良くなる。だったら、それが俺の役割なんだと思うわけですよ。
でも、テレビの現場を見てると、「ディレクター、プロデューサー。役割は以上!」ってなってる。オレから言わせてもらえば、そっちの方が乱暴だよと。
会場:(笑)
嬉野:
たったふたりでさ、やれないところもやれるふりしてやるとかさぁ。そんなんじゃ面白くならないんじゃないかと思うわけ。
自分は変われなくても、世界を見るカメラアングルは変えられる。
カツセ:
ご自身の中で「ディレクター」という肩書きは、当てはまっている感覚はないんですか?
嬉野:
いや、ディレクターっていうのはおっくうだね。オレはさ、思いついたことを文章にするっていう気はすごいあるんです。
あとは、ひとつの場にずっといて「ここがおかしい」とか考え始めるという性質もある。「いや、これすぐには直せないんだけどなんとかしないといけないな」っていう気になってくると、それに邁進したくなってくるんだよね。オレはたぶん、そういう人間なんだよ。
カツセ:
確かにそれはディレクターではないですね。プロデューサーでもない。
嬉野:
そうそう。だから、そういう意味で、ずっとオレには居場所はないなと思ってたの。居場所がないって思うから、「何なんだろうか、オレ」なんて考える。
カツセ:
居場所がないから、考える。
嬉野:
居場所がないっていうことは、社会で自分が落ち着く場所がないっていうことで、いたたまれない状況ですから。精神的に安定しないわけですよ。
嬉野:
安定しないからこそ安定したいと思っているわけで、考える動機をくれるのが「居場所がない」っていう状況なんだよ。
これが、この社会がオレに与えた役目だと思うわけ。「お前、ずっとそこにいろ」と。「ずっと安定しないぞ」と。「その代わりどんどん考えるだろう」と。
カツセ:
なるほど。
嬉野:
だからオレはなんとか「楽になろう、楽になろう、楽になろう」と考えてる。自分というものはひとつも変わらないのに、自分の立ち位置ってものを、こう考えてもいいんじゃねえかなって変えてみる。
そうやって考えていくと、「何もしないけど、その場に君臨したい」とかもありなんじゃないかなと思えてくるわけ。
カツセ:
カメラアングルを変えた感じですよね。
嬉野:
あー、そうです!
カツセ:
嬉野さんご自身は変わってないけど、アングルによって見え方が変わる。
嬉野:
そうそう。カツセ君も変わってないし、オレも変わってないんだけれども、角度を変えると逆光になってずいぶん神々しくなったりするっていうね。
カツセ:
このカメラアングルからでも、やっていけるんじゃないかみたいな(笑)。
嬉野:
そういうところが人間にはあると思うんだよ。だからオレは、社会の規範とか世間体とか、いろんなものがあるけれども、自分の人生っていうのは誰も立ち入れない自分だけのものだと思ってるわけ。
それはカツセ君もそうだと思うし、今日来てるみんなもそうだし、その中で生きていくんだったら、「オレがハッピーになる」っていうことが大事っていうかさ。オレ自身がハッピーに感じて、すげぇ楽しいって思えることに向かっていくっていうのが一番…もったいなくないと思うんだよ。
カツセ:
確かに。
嬉野:
そのために、自分でこの世界っていうのを勝手に解釈してもいいって思うわけ。そのくらいこの世界っていうのは複雑多岐だから。万人が自分で勝手に考えて「世界はこうなんだ」って言ったって、たぶんそれに対応するぐらい多面体を持ってるんだよ。
だから自分が本気で楽しくなれるところを探そうとすれば、きっと探し当てられると思うんだよね。
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