「言葉は届かない」嬉野さんの言葉の切れはし#340
見えている風景が違う時。
言葉は、その人には届かない。
それは難しいとか、易しいとかではなく。
その人の凹んでいる事情が分かっていたってね、その事情が、その人にどんな風景を見せているかなんて分からない。
ーー嬉野雅道
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公園で男の子が泣いているとするでしょう。
転んでしまってね、どこかが痛いわけでもなさそうです。
だって、公園の隅の、ブランコに乗ってね、
大きくブランコをゆするわけでもなく、
ひっそりと、そこに座ってすすり泣いているから。
もう日もずいぶんと回ってね、
西に傾き始めた斜めの光が町にはさして、
その公園だけ取り残されたように静かでね、
そこに男の子がブランコに座って泣いている。
あなたは、気になるからその子の側に寄って行ってね。
言葉を掛ける。
「ぼく。どうしたの?」
その時、その子が、あなたを振り向いて、泣いてる理由を言ってくれればね、
きっとあなたは、その子を慰めてあげる事が出来る。
「家に帰ったけど、カギが掛ってて開かないの」
「そう。じゃぁお姉さんが、お母さんが帰ってくるまで遊んであげるよ」
でも、その子が、あなたの問いかけに何も答えてくれないのなら。
きっと、その子は、誰にも助けてなんかもらえないと思っているのだろうね。
その子の見ている風景が、今のあなたに見えない以上、
あなたの声は、その子には届かない。
その子だって、自分が見せられている風景を、
どう言葉にして告げればいいのか分からなければ、
手を差し伸べられたって、答えることは出来ない。
でも、なんとかして、その人の力になりたい。
その思いは尊いよね。
でも、どうすれば好いんだろう。
残念ながら、その答えは自分で探すしかない。
その人の気持ちを考えて、
少しでもその人の気持ちに立って、
考えるしかない。
それでも、的外れなことを言って、彼を怒らせるかもしれない。
「うるさいよ」と言われるかもしれない。
そのことで傷つくかも知れない。
自分も昔、公園のブランコに乗って、泣いていた経験があれば、
その時の心細さを振り返って、
その子の気持ちのほんの少しでも理解してあげる事が出来るかもしれない。
見えている風景が違う時。
言葉は、その人には届かない。
それは難しいとか、易しいとかではなく。
その人の凹んでいる事情が分かっていたってね、
その事情が、その人にどんな風景を見せているかなんて分からない。
いくら考えたって、
その人に何と言ってあげていいかなんて分からない。
でも、励ましたい。
だったら一緒にいつまでも悩むしかないね。
その人がもう一度元気になるまで、
心配するしかない。
辛抱強く、その人のことを心配しながら元気になるまで待つしかない。
いろんなおせっかいなことをしながら、
その人に疎まれながら、真剣に心配してあげ続けるしかない。
男心なんか分からない、なんて言って、
あきらめないで。
きっと、その彼も立ち上がろうと頑張っているはずだから。
仕事のミスで凹んでいるなら、そう遠くない将来、必ず元気になりますよ。
世の中には、言葉を掛けたくらいでは、
そして時間が少しばかり経過するくらいでは、
とうてい回復しない悩みもあるはずです。
そんな人には、掛けてあげる言葉なんか思いつかない。
それでも、なんとか力づけてあげたいと思う。
そういうものですよね。
いかん。
また偉そうなことを言ってる。
でも、人が見ている風景は、間違いなくそれぞれに違うんですよ。
とくに凹んだ時に見ている風景は、
その人にしか分からない。
だから、そばにいてあげるだけで、
すでに充分なような気がします。
ーー嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)