私のルーツの旅【母方の祖母編】その6 本家との出会いで続々新発見という話

ご住職から教わった連絡先を頼りに、先ずは手紙を書きました。手紙には、簡単な自己紹介と、なぜ先祖調査をしているのか、また先祖調査への想いを綴り、最後に質問事項と家系図を同封しました。

数日後、そろそろ手紙が届くかなと考えていた矢先、一本の留守番電話が入っていました。なんと、先方からのご連絡でした。すぐに折り返しの電話をいれたところ、会って頂けるとのこと。

こうして、私の先祖調査はあらたなステップを迎えることになったのです。


先祖調査が大きく前進した本家との出会い

いよいよ本家の方にお会いする日がやってきました。電話でお話ししたときは、とても優しく温かみのある声をされていたので、きっと素敵な人だろうと期待も高まっていました。


少し緊張しながらも、楽しみな気持ちでいっぱいです。


家系図を調べる中で、昔の戸籍からある程度の本家筋のお名前は分かりましたが、両親に聞いてもなかなか連絡先が分からず困っていました。そんなとき、菩提寺のご住職を訪ねたことで、急展開が訪れ、ついに本家を訪れる機会が実現したのでした。

三代続く家具屋、先祖の職業の変遷

本家は三代続く家具屋さんでした。

店内には木の香りが広がり、なんとも懐かしい気持ちにさせられました。


今日は宜しくお願いします。と一言。


ご主人と奥様が出迎えてくれました。用意した手土産を渡し、まずはお堅く挨拶をします。机には何やら古めかしい書類が置いてありました。


一目で昔の戸籍であることがわかりました。
わざわざ準備をしていただいたことに感謝です。


簡単に自己紹介をしながら、まずは、なぜ先祖調査をしているのかをお話ししていきました。まず聞きたかったのは、ご先祖は何をされていた人なのかということです。


お話によると、ご主人の曽祖父にあたる方は「網元」をされていたようです。となると、元はやはり漁師だったのでしょうか。

網元(あみもと)・網主(あみぬし)とは、漁網や漁船を所有する漁業経営者のこと。これに対して網元に雇用されて労力を提供する漁師・漁夫を網子(あみこ)と呼ぶ。

Wikipediaより

ただ、昔の漁師は現代とは違い命懸けの職業でした。確か、ご住職の話でも漁に出たまま帰って来られず命を落とした方も多くいたと聞いていました。


ご主人の曽祖父は祖父にあたる息子が待望の長男ということあり、漁師にはなってほしくなかったそうで、手に職をつけさせるために桐タンス職人の元へ丁稚奉公にだしたそうです。


確かに、戸籍を読み解くと、家を途絶えさせないために養子縁組をされていましたが、のちに解消していることがわかりました。また、お名前に代々続く「長」の字をつけていることから、長男として家を継いでいって欲しいという親心も見て取れます。

桐タンス職人となり、商圏の問題から小田原ではなく別の土地でのお店を開くことになったそうです。命の危険のある漁師ではなく、安全な職業をすすめるあたり愛情を感じますね。

家紋の謎:住職からの情報との食い違い

驚いたのは、うちの家紋が「丸に立ち沢瀉(おもだか)」ではなく、「下り藤」だと言われたことです。


「えっ、そうなんですか!?」と驚きを隠せませんでした。


菩提寺のご住職が自信を持って教えてくれたので、私はそれをもとに、家系図に家紋を入れたものを手紙と一緒にお送りしていたのです。

何かの勘違いなのか、それとも記録が入れ替わってしまったのか。じっくり調べる必要がありそうです。

実は、光さんと養子縁組した家系も「下り藤」の家紋なので、少し不思議な縁を感じました。なぜ、丸に立ち沢潟の家紋だったのか、その理由をご住職に再度聞いてみるといいかもしれません。

その後、自宅と思われる登記書類や昔の借用書なども拝見することができ、こちらは写真を撮らせていただきましたので、後日詳しく調べてみることにしましょう。

ひょっとしたら何かのエピソードが見つかるかもしれません。


ところで、話もだいぶ弾んできたところで、何やらご主人が言いにくそうに話を切り出されました。

一代で財を成した先祖の物語

ご先祖には、なんと一代で財を成した実業家もいたそうです。


もちろん、いきなり成功したわけではなく、周囲に借金をしては様々な「儲かる話」に挑戦していたのだとか。


何だかドラマチックな展開になってきました。


その方は、子供がおらず、小田原の地を離れ新しい土地で水産事業を始めたそうです。そこで大成功を納め、成功者として再び故郷へ錦を飾ったということでした。


様々な事業に挑戦しては失敗を繰り返し、借金を返せないこともあったそうで村八分状態だったのだとか。自分の先祖にそのような豪快な生き方をされる方がいたのかと思うと、ちょっと前のめりになりながら話を聞いていました。

実は、両親からうっすらと「噂程度」の感じで話自体は聞いていたのですが、一代で財を成したというのは、果たしてどれだけのモノなのでしょうか。その土地では、大変有名だったのではないかという話でしたが、この実業家を深掘りしていくのも興味深いです。

今後に向けて墓石の調査を提案してみる


そんなこんなで話も盛り上がりましたが、先祖調査においては戸籍にない先祖をどれだけさかのぼれるかという点も意識しているところです。

残念ながらご自宅には戸籍で追える以上の過去帳などの情報はなく、ご住職から聞いたご先祖名についてはご存じなかったようです。


菩提寺への訪問、本家への聞き取り、あとはどんな調査をすることがしょうか?


そういえば、まだやるべき事が残っていました。


それは墓石です。

本家のお墓は、菩提寺の中でも古いお墓の部類で、調べたら何かわかるかもしれません。そこである提案をさせて頂きました。


お墓の拓本を取らせてほしい。


拓本というのは、石碑などに刻まれた文字に和紙を当てて文字部分の凹凸を利用し、紙の上から墨によって写し取って手法をいいます。

凹凸のある石碑、器具(硯、青銅器など)に紙や絹を被せて密着させ、上からタンポに含ませた墨を打ち(上墨;じょうぼく)、凹凸を写しとること、また写し取った紙や布のこと。写しとられた器物の像を拓影という。凹んだ部分が白く、凸部分が黒く紙上に現れる。

Wikipediaより

お墓の拓本を取ることで、何がお墓に刻まれているかを読む取ることができます。墓石に刻まれた文字から家族の歴史の手がかりを見つけられるかもしれませんね。


果たして拓本から何が読み取れるのでしょうか。


もちろん、お墓の拓本取りの許可を頂き、またこうしてnoteに書いて記録を残すということについても承諾を頂きました。拓本を取るにあたって、お墓のお掃除もさせて頂きます(笑)

次回は拓本取りの様子などもお伝え出来たらなと思います。
私のルーツの旅は、まだ続きそうですね。

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