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私のルーツの旅【母方の祖母編】その8簡単にあきらめてはいけないという話

旧土地台帳と郷土史が繋ぐ、家族の記憶


先日、お墓の拓本を取ったことがきっかけで、新たな発見をいくつか得ることができました。お墓は4基あり、一つのお墓からは「文化」という元号が読み取れ、もう一つのお墓には「宝永」の文字が。ご住職にお墓の拓本について改めて調べていただいくことになりました。ご住職には本当に感謝です。

それまでの間、仕事で法務局に出向くことがあり、ふと「以前調べた旧土地台帳について、もう一度調べ直してみよう」と思い立ちました。実は以前に郵送で取り寄せたことがあったのですが、請求した地番からは先祖の名前を見つけることができませんでした。

請求した地番に先祖の名前がなかったのでその土地を所有していたのではなく、賃貸していたのだという理解もできます。ただ、私はここで「本当にそうなのかな?」という疑問が頭をよぎっていたのです。


過去の疑問を解くカギ:相続業務で得た知識の応用

相続手続きで登記簿や固定資産評価証明書、地図を扱っていると、意外とそれぞれの情報が一致しないことに気づきます。同じ土地でも記録の精度や表現が微妙に異なることがよくあるのです。

今回調査したのは明治時代の本籍地とされていた場所。登記簿や地図の整備状況を考えると、地番が現在とはズレている可能性は十分にあり得る事なのではないか? そう仮説を立て、実際に法務局で確認してみることにしました。


法務局での再調査:旧土地台帳の仮説検証

まず、明治時代の地番を手がかりに「地図に準ずる図面」を取得しました。地図に準ずる図面というのは、不動産登記法14条でいう地図より以前に備え付けられていたものです。この図面を確認したところ、どうやら耕地整理が行われていて、2通存在していました。同時に、現在の地番と明治時代の地番が一致しないことも明らかになりました。

手元にある耕地整理後の図面を見ると、以前取得した旧土地台帳は「279番地」と記載されている場所でしたが、これがどうもズレている様子。そこで、耕地整理前の図面も併せて取得し、さらに現在の公図と照らし合わせてみました。縮尺が異なる(1/300と1/600)ので比較しづらいのですが、該当する地番が「255番地」である可能性が浮上しました。

地図に準ずる図面①


地図に準ずる図面②

早速、この地番で旧土地台帳を請求してみると――
そこには、先祖である本家の方の名前が記載されていたのです。


危うく見誤るところだった先祖の土地

もし以前の調査結果をそのまま受け入れていたら、全く異なる場所をご先祖様の土地と認識するところでした。相続手続きや登記関連の知識がなければ、この仮説にたどり着くことはできなかったかもしれません。

今回の調査を通じて学んだこと、それは「壁にぶつかったときこそ、仮説を立て直すことの重要性」です。一見すると手がかりが途絶えているように見えても、周辺知識や視点を変えることで、新たな扉が開かれるのだと実感しました。


郷土史との出会いがもたらした驚き

この発見を受け、「他に見落としている情報があるのではないか?」という思いから、さらに調査を進めました。地元の図書館で郷土史をひもといていると、驚くべき記録を発見したのです。

そこには、先祖の本当の名前と、先祖が営んでいた職業が記されていました。先祖の本当の名前というのは、戸籍に出てくる名前ではなかったのです。また、本家の方から聞いていた「網元」ではありませんでした。名前の表記の違いが、いかに時代や文化と結びついているかを感じると同時に、先祖が地域で果たしていた役割の大きさを改めて実感しました。


先祖調査の奥深さ

今回の調査を通じて、先祖調査は「過去をたどる」だけでなく、「自分自身の視点を問い直す」機会であると感じました。壁にぶつかったときは「本当にそうかな?他にないかな?」と自問自答し、視点を変えることが新たな発見につながります。

もしあなたが先祖調査をされていて行き詰まったら、少し角度を変えて仮説を立て直してみてください。そして地域の郷土史や歴史資料といった狭い地域の資料こそ、先祖調査にとっては「濃い」情報が詰まっています。きっと新たな一歩を踏み出せるはずです。



次回は、今回の文献調査で明らかになった先祖の職業について、さらに掘り下げてお伝えします。あなたの家族の歴史にも、新しい物語が眠っているかもしれません!


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