移住10年目のフリーランス。技術の進歩の限界が見えたとき、未来に対する希望もなくなるのか。
私はvoicyが好きで、複数のパーソナリティの方の配信をいつも聞いていますが、これによってとても有意義な時間が増えたと実感しています。
いつも深い学びと投げかけをもらえる春木先生の【知的好奇心チャンネル】、今朝の配信について思ったこと。
こちらの放送は無料で聞けますので興味のある方はぜひ聞いてみて下さい。
科学技術の発達を遂げてきたかつての時代
『未来はもっとすごいよ』というCMのフレーズ。
高度経済成長を続けてきた時代には、日本全体がこういう空気にあふれていたようです。
どんどん新しいものが売り出され、庶民の生活も便利になって豊かになって、みんなが幸せを感じることができていた。
そして『失われた30年』といわれるデフレ時代を経験してきた今、未来は今よりも幸せではないと考える人が大多数らしいです。
なるほど。そうなんだ。
私はテレビは見ませんが、時々ネットなどで目にするニュースでは、値上げラッシュで困るとか、年金が足りないとか、増税がどうのとか、庶民のネガティブな目線でいろんな報道がされてることが多いようには思います。
それ本当に必要ですか?技術の進歩がもたらすもの。
私が地方の中山間地に移住した理由の一つでもあるのですが、世の中が便利になるあまり、人々は何でも欲しがるようになり、できることもしなくなり、本当に必要なものを見失ってはいないか?
食べ物さえも工場で大量生産された工業製品。たしかに美味しいし、忙しいときには便利だし、それを否定するつもりもありません。でもその『必要な時』を判断する能力が人間から失われているなと思うのです。
浮世と離れることで自分の本心を見直す
もともと便利なものを求める方ではなかったので、こちらでの暮らしに大した不便も感じてはいないのですが、都会の暮らしから離れてこの中山間地で生活するようになると、自分はこのくらいで良いとますます感じています。
また、いわゆる【半農】生活をしながら周りを見ていると、農業さえもテクノロジーの恩恵で発展を遂げてきてるこの環境にも違和感を感じます。
どんどん便利になって、化学的に作られた肥料や農薬を活用することによって生産性を上げて早く大量に作物を実らせ、大量に市場に売りさばく。
でもその結果、農家は買い叩かれ、安く買われていった先では廃棄される食べ物が増え、どれだけの人が幸せになれているのか、とても疑問です。
ちなみに自給農を基本として自然栽培をしていると、もうそこには幸せしかないんですよね。こちらのコラムでもそんな活動の紹介をしています。
持続可能性
技術の進歩や便利さがなくなったら幸せではないのか?
私はその真逆だと思っています。
そう思えるようになりました。
情報があふれる社会では、自分がどうしたいのか、何が欲しいのか、どう思っているのか、そんな自分の本心もわからなくなっている人たちが多数いるように思うのです。
今の暮らしでは、自分が本当に贅沢だと思えるもの、貴重だと思えるもの、自分にしかできないことを少しずつ見出せるようになってきて、それが本当に充実感をもたらしてくれると感じています。
また、そこに共感してくれる人たちも少しずつ増えてきて、それがまた嬉しくて、自身の幸せにつながっているのですね。
結局は自分軸であること
世間の波にばかり泳がされて、みんなに合わせた行動して、または人と比べて劣っているとか優れているとか、そんな価値判断では本当の自分の幸せは見えてこない、感じられないと私は思います。
いろいろな方と話をしていると、いわゆる周りの価値観に縛られて今一歩踏み出せないという人も時々見受けられます。
だから私は、いわゆるマジョリティから外れて生きてきた自分の経験や今の幸福感を、そんな人たち共有してもらい、背中を押してあげたり、全力で応援したりしていきたいなあと思っているわけです。
あ、もちろんネットやIT技術も、便利で必要だと思うものは私もどんどん使っていますし、NISAを機に投資も始めました。あくまでも必要性を自分で判断することが大事だと思っています。
とりとめのないない文章になってしまいましたが、私は未来にはさらなる幸せと充実感が待っているなと感じているというお話です。