移住10年目、協力隊を終えてからもなんかいろいろあったなあと思い出してみる
過去のことを思い出して書くのって、けっこう脳みそ使いますね。
ところでこちらのサイトで、現在の自然農にまつわるコラムを書かせてもらっています。気楽に楽しく、自給農を楽しもうというテーマでやっています。よかったら見てみてください(^^♪
協力隊の任期を終えて半年たっても、収入も伴わないままそれまでの任務に追われていたわたしは、スキー場でのバイトをすることにしました。
雪がなくなってスキー場の営業が終わる春頃、同じ地域・団体の後輩協力隊(女性)が、任期を終える時期になっていました。
彼女の卒業にあたり、市の担当者と受入れ団体での話合いの場が設けられ、『この後も彼女にこちらの仕事(団体の事務局業務)を続けてもらうのであれば、それなりの処遇(つまり給料)をしてください。 』と市の担当者は言い、受け入れ団体側も同意しました。
そこで、彼女だけというわけにもいかないということで、私も報酬をもらえることになりました。月3万円ですけど。
ちなみに私が受け持っていた業務は主に、経理と税務、農家民宿の運営(料理とか接客とか)、イベント運営にまつわる諸々でした。
個人事業として始めたお菓子工房の仕事もぼちぼちあったため、割と忙しくなって、この頃ほぼ休みもなく(たぶん半年くらい)動き続けていました。
そんな状況が、かれこれ6年位続いたということになりますかね。
農家民宿は、コロナと人手不足で結局ほぼ休業状態となって私の負担は軽減しました。
そして昨年、事が起こりました。
わたしはずっと、その団体の建物の一部をお菓子工房にして事務所も使わせてもらっていたので、ほぼずっとそこにいたわけです。
その団体は、そもそもが補助金ありきで運営されてきており、自分たちが稼げる体制はなく、そのことにも私はだいぶ疑問を投げかけてはいましたが例のごとくほとんど響かずで、そんな状態なので補助金をもらうネタがなくなると資金面は当然立ち行かなくなってしまいます。
団体の預金残高がどんどん減ってきていることに、ようやく危機感を覚えたようです。
そしてその矛先がこちらに来ました。
あー来たか。という感じでしたが。
そもそも、うまくいかないことがあると人に責任を押し付けたがる習性がある人たちでした。
つまり、『お前のせいで金がなくなった』みたいな話になったのです。
で、もっと家賃をよこせ。もっと光熱費を払え。と。
光熱費に関しては、建物の一部を借りているため明確に分けることができず、同業者の相場として売上の5%を負担する形にさせてもらっていました。その4倍を要求されてしまいました。
家賃(事務所使用料)は、その団体の仕事もしていたのもあり、年6万円を納めていましたが、これも2倍に。
わたしもかなり頭に血が上りましたが、ここで揉めてエネルギー消費するのも面倒なので、いったんは了解して、なるべく早くそこを出ようと決めました。
この時点で、自分にとってマイナスな要因しかもたらさないものとは、なるべく関わらない方が良いと判断しました。