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研究者って①

多面性を持っている。いや、世界中ほとんど全ての人が多面性を持って生活している。ただ、研究を遂行していくうえで必要となる多面性は、多重人格とかそういうものではなく、ひとつの物事を捉える視点や考え方が複数ある多角的であるという意味なのです。

大学院への進学を目指したり、研究者を目指したりする学生のラボ選びの参考になるように、研究者と研究に対して最近思っていることを暇な時に小出しにして書いてみます。すでに多くの研究者の方々が色々な媒体で発信済みなので、多くの意見の一つという程度に読んでもらいたいです。さらにその結果、間接的にでも良いので、研究と関わりのない方々にも、研究に関しての理解が進む記事になればと思います。ちょうど先週ヅマの部屋で話させていただいたのでその流れも込みで。

さて、出だしの多面性というキーワードは研究者を理解するうえで必須かと思われます。なぜなら、研究者は多面的に物事を捉える必要があるから。例えば、一羽の鳥が空を飛んでいると、「なぜ鳥は飛ぶことができるのか?」という疑問を自ら作り、胸筋の発達が大事かも、という作業仮説の元に実験をし、その問いを解決していきます。そして、それと同時に、いや胸筋の発達は大事じゃないかもしれない、他の組織が大事かもと自己反論し、じゃあ、それを否定する実験は。。。みたいな形で自分の理論を支える実験結果を否定させない実験結果で上塗りする方針が次々必要になってきます。一人の研究者が発表の場で「鳥が飛ぶことができるのは〇〇のおかげと考えられる」という結論を言うと、それに対して反論が必ず出てくるわけですが、実際にはそれを自分自身の中で研究の進行中に常に展開しておく必要があるのです。それら複数の視点を詰めて詰めて、最終的に「〇〇が大事だろうと考えられる」と結論を出すわけです。TVで専門家が出てきて、まどろっこしいことしか言わないなーとか、専門過ぎて結論がよくわからないよと思っているそこのあなた、そのTVに出ている人はおそらくちゃんとした研究者です。なぜならあらゆる視点をちゃんと持っていて、その全てを否定することはできないと考えているからです。逆に「△△である!バンッ!」みたいな人は危険な場合もあります。テレビ受けは良いので、番組的には重宝がられますがあれな場合も多いので注意が必要です。

違う例として裁判に当てはめると、研究者は一つの事象に対し、検事側も弁護士側も一流のレベルでこなすスキルを持ち、発表の時点では、その議論を自分自身の中である程度展開し終えておく必要があるわけです。一見矛盾しているように思うかもしれませんが、これが大事かと。最近は、社会全体や時には研究業界自体からも「わかりやすさ」や「おもしろさ」という呪いの要求を突きつけられて、ドンッって結論を出す風潮があり、それがとにかく不満だし恐怖です。私が対象にしている生き物の世界って本当に単純明快に結論がでるものとそうでないものがあり、本来どちらもキチンとした実験結果に基づくのであれば平等に扱われるべきだと思うのだけど、事実を軽く扱ってでも「わかりやすい」「おもしろい」を前面に出したほうがbetterと振る舞う人や仕事が出始めていて。。。やっぱり自分自身としては、それで中身の「しっかりしていなさ」が見え隠れすると受け入れ難い仕事や人となってしまいます。「おもしろい」は、あくまでしっかりとしたデータに基づくべきなわけで、自己懐疑が甘々でデータが適当だけどおもしろそうに発表するのはScienceではないんじゃないかなと思ってしまいます。「おもしろい」を追求してしまっている時点で多面性を失っているような気がしてなりません。

というわけで、自分が考える多面性を簡単に書いてみましたが、一歩下がって自分の結論を眺めることで、いろいろな視点を持つことの始まりになるので、学生のうちはともかく凝り固まって「自分は一番!」とか考えずにふにゃふにゃ頭を維持できたら良いですね。年齢を重ねるといやでも頑固になっていくでしょうから。自分の頭の中で考えられることなんて本当に少ししかないので、特に他のラボの先生や学生の意見とか、学会で聴衆がコメントしてくれることを、嫌味な反論としてでなく自分の多面性を増やしてくれるものだと好意的に常に捉えられると幸せなのかなって思います。これは本当に自戒も込めて。



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