おわりのはじまり

3年前、7月23日19時3分前。駅から徒歩5分にある大衆居酒屋。店の前を通ることはあっても足を踏み入れたのはこれが初めてである。団体客の塊を見つけて、慌てて群れの中へ身を隠す。開始までもう間も無く、目立ちたくないので目の前の女性に付いていくことにする。

ほどなくして私と同じ参加者であろう、1人の男性が最後尾に付いた。細身で眼鏡をかけている、薄い水色のストライプ柄のシャツを着た男性。参加者の男性はほとんどがTシャツやポロシャツにジーンズ、といったラフな服装であるのに、ビジネス用だろうか、横長の鞄まで小脇に抱えている。シュッとした、清潔感ある出で立ち、優しい目。私、最後の恋が始まった瞬間であった。

ここは婚活パーティーの会場である。特にこの会は「オタク婚活」、恋に限らず、オタクな仲間を見つけようというコンセプトであった。私自身、漫画やアニメが好きであったこと、友達や妹もオタクであったことから、付き合うなら趣味や話の合う人がいいなと思っていた。また、仕事の都合で引っ越したばかりだったため、女友達も欲しいと思っていた。暑い夏に飾らない居酒屋でビールと食事をとり、好きな話題に花を咲かせるだけでも参加した甲斐があるだろう。

広い部屋にはテーブルが並べて置いてあり、大きく2組、30人程度が入れるようになっていた。入り口で見かけた男性は入場したタイミングが近かったために、同じテーブルになった。

「では乾杯をー最後に入ってこられた貴方、お願いします!」

男性は困ったような笑顔を浮かべ、ビールが注がれたグラスを持つとやさしい声で発生した。

「ではーまあ飲みましょう、乾杯!」

最初から目が離せない、声が大きくなく、横柄な態度を取るでもない。ハッキリ言って一目惚れであった。婚活イベント自体は友達と参加したことはあったが、自分からいいなと思える人に出会ったことはなかったし、いても別の素敵な女性と一緒になった。

偶然同じテーブルの7〜8人で話す。職業や年齢など、簡単な自己紹介をしたあとは、最近やっているゲームや好きな漫画、今期のアニメの話になって会話は途切れることがない。楽で気負わない、心地いい空間。その後彼とは途中席替えで運良く隣の席になった。好きな作品、日頃の話、昨日配信されたばかりのアプリの話。物腰が柔らかく嫌味のない返答、飲み食べする中での気遣い、変わらぬやさしい笑顔。

2回目の席替えが終わる前に、自分から、生まれて初めて連絡先を聞いた。こんな風に自分が動けることが以外だった。もっとずっと話していたい。私より綺麗で若い子と一緒に、仲良く話して欲しくない。席替え後も彼の背中を、ドキドキしながらちらっと見ていた。ほかの参加者と話すのは楽しい。けれども、既に意識は先の男性に伸びていた。

2時間の会はあっという間に終わった。趣味の話で盛り上がり、もっと話がしたい思っていたら、不意に男性から話しかけられた。連絡先を交換した男性である。

「名前の漢字がわかりにくいから、名刺を渡したい」

とても嬉しかった。また、自分から気になった人に向こうから話しかけてもらえるなんて、夢にも思わなかった。横長の鞄から名刺を取り出している間に、2次会のカラオケ組はどこかへいったしまった。私たちともう一組残った男女4人で、お店の前で小一時間ほど、のんびりコミケの話をして、その日はお開きとなった。

それから3年。私たちが初めて出会ったあの居酒屋が閉店し、別の居酒屋が入ったことを知った。彼に伝えると大変残念そうにしたが、すぐ切り替えて、新しいその店に行ってみよう!と答えた。

あのときと変わらない、やさしい笑顔。あの日が最後の恋の始まりで、今出会った男性は私の夫として隣に座っている。今も昔も2人とも、ビールが好きで飲みながら過ごす時間は特別である。特別な大人数での乾杯も、夫婦で過ごす乾杯も、私にとっては全てが大切な時間だ。特に暑い日に2人で飲むビールは、格別に美味しい。

あの夏にありがとう、あの夏にそして今年の夏に乾杯。

#あの夏に乾杯

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