現実と錯覚
2024/10/7
あなたは世界中に友達ができるから大丈夫
旅を初めてまだ1ヶ月余りの頃、私はモンゴルにいたのだが、その時ルームメイトだったドイツ人女性に掛けられた言葉だ。
当時は軽い挨拶程度のものだと思っていた。或いは、本当にただの軽い挨拶だったのかもしれない。
しかし時が経ち、今ではそれが現実になろうとしている。理想ではあったものの、まさか本当に実現するなんて…実は当初予想もしていなかった。
あの女性は私の何を見てそう思い、伝えてくれたのだろうか。先見の明とやらがあったのだろうか。
わからないが、今でも時々思い出す印象的な瞬間だった。
「元気?今どこにいる?」
「モロッコの次はどこに行くの?」
「来年は?」
「あとどのくらい旅を続けるつもり?」
マラケシュにいる間も多くの連絡が入る。
各国で出会ったハウスメイト、今は遠い国にいるヒッチハイク仲間、すでに帰国した人や旅を再開した人、お世話になった宿のスタッフまでも。
それこそ世界中、国籍人種問わずだ。
自然や食、創作物など色々あるが、異文化を知るにはそういった交流も大事な要素の一つだと思う。
ここまで書いておいてなんだが、その一方で、ひたすら自分に向き合う様な一人旅にも憧れる。
二輪に跨り、流れる景色を横目に山を越え、川を渡り、疲れ果て、頃合いになると適当な場所を探す。そこでテントを張り、コッヘルで調理したツマミでビールやワインを飲み、翌朝は朝陽を眺めつつ豆を挽き、鳥のさえずりを聴きながら濃い目の熱いコーヒーをすする。
その瞬間、世界は時速何kmで周っているのだろう。自分の呼吸を感じることはできるのだろうか。
それでも今、私は充実している。
色々あるが、満足している。
この先もそうでありますように。
そう願う。
サーム、アイシャさんとも今日でお別れだ。
彼らは明日、カサブランカに帰る。
そして同宿で数日を過ごしたミナコちゃんも翌朝マラケシュを発ち、砂漠ツアーへ。
惜しみながら歓ぶ時間はいつも無情に早く過ぎていく。
いつでも、何処でも、誰にでも平等に流れているはずの時間なのに。
感じること、聞こえるもの、触れるもの、全て現実であり錯覚だ。
もしかすると、これから散らばる私達も、本当は同じ方向を見ているのかもしれない。