印象
2024/8/29
フェス滞在5日目。
私はいつもの朝食を取り、それから屋上テラスでぼんやり、過去そして未来を思い見る。
時々こんな時間が必要だ。
日々の出来事や発見で得た気づきを、ここで整理し、閃きや仮説、結論を見出す。
カキはいつも午後から起き始める。
日本に住んでいた頃から夜型生活だったらしく、今でもその癖が抜けないそうだ。
その彼は今日、先日見学した革の製造現場を詳しく知りたいとの事で、1人外へ。
私は彼を見送り、引き続き思考に耽った。
しばらくして戻って来たカキは
「工場見学は良かったです、でも大変だった…」
と声を洩らし、その理由を訊ねると“臭い”が凄まじく、嘔吐してしまったとの事。
先日の比ではなかったという。
名産品の裏には苦労や努力がある。
ところで、そんな過酷な現場で働く彼らの給料は1日100MAD(約1,500円)だそうで、これはフェスの平均的な所得からすると高い方らしい。
仮に30日、休みなく働いたとして300MAD(約45,000円)。
モロッコの物価を考えると、それでも衣食住を満足に得る事は難しいだろう。
ヨーロッパに出稼ぎに行く人が多いのも納得がいく。
相変わらず観光客を狙った怪しい輩から声を掛けられる。
「道を案内してやる」
「良いレストランがある」
と誘ってくる。
「金がないんだ」そう返すと
「なんでだよ!?日本は豊かな国だろ?なんで君は日本人なのに金を持ってないんだ!」
と捲し立ててくる。
迷路の様な路地を探り歩いていると、パブーシュと呼ばれるサンダルの店が現れ、カキは
「ちょっといいですか?」
と、そのパブーシュ屋を覗いた。
店主の男性は私を見るや
「Japan?」と訊ね、そうだと答えると軒先のチラシを指差す。
そこには日本語で書かれた「旅」という雑誌の1ページ。
2010年にモロッコを特集した際、彼の店が掲載されたものだった。
おそらく3畳程だろうか、とても小さなパブーシュ屋。ハンドメイドで一日一足、コツコツ作り続け、販売しているらしい。
そして所々が破れたその写真付きの記事を誇らしげに飾っている、店の一番目立つ場所に。
私達を見送ってくれる最後まで彼は嬉しそうだった。
すっかり陽も暮れ、私達は宿へ戻り始めるが、その途中で今度は1人サッカーボールを壁に向かって蹴る少年が目に入った。
カキはおもむろに声を掛け、その少年と遊び始める。
彼は人一倍、寂しさに対して敏感だ。
親のいない、産まれたての子猫が路上にいると「危ないよ」と真っ先に向かい、脇へ移動させたりもする。
やがて私もサッカーに加わり、遊んでいると、2人の若いモロッコ人男性が近づいてきた。
私を見つけ「飲むか?」と紙袋からウイスキーボトルをチラつかせる。その量はごく僅かで、彼らは既に酔っている様だった。
私が断ると今度はカキに近づき、出身を訊ね出す。
その後に彼らが発した言葉。それは決して口にしてはいけないワードだった。
カキは瞬時に足を止め、怒りを込めた強い口調で、今にも爆発しそうな感情を寸前で抑えながら
「Don't say that」
「It's bad word」
と返す。
しかし2人の若者は止まらない。
私はすかさず間に入り、彼らに去るよう促す。
サッカー少年は1人佇んでいる。
最終的に若者達は謝り、握手を交わしてその場は過ぎたものの、カキの怒りは収まっていない事は明らかだった。
それでも、彼が理性的な人で本当に良かったと思う。
私はサッカーボールを蹴り、再び3人でパスを回した。
やがて疲れて飽きるまで、しばらく、しばらく。