少年のポケット
2023/8/12
この日はまず、靴修理店へ。
マラッカで付けてもらったブーツのプロテクターが、いつの間にか剥がれてしまっていたのだ。
まぁ接着剤で貼っただけだし、それでなくても減りが早く、どちらにしても時間の問題だった。
何より155円という破格で、店員の感じも良かったので不満は無い。
ブーツを袋に入れ、久々にサンダルで歩く。
すると、これが本当に歩きづらい。
足元が如何に大事かが良くわかる。
予想通り雨風は激しさを増し、街路樹は撓い、歪んだアスファルトの窪みには瞬く間に深い水溜りが出来る。
私は平らげた皿を重ね、道路にバチバチと撥ねる水音に耳を澄ましつつ暗雲が晴れるのを待った。
暫くして薄日が差し、店を後にすると、中央分離帯を境に片道2車線が広がる大きな通りの中、遠くに1人の子供が目に入った。
恐らく5〜6歳の男の子
黒い短髪で土砂降りをまともに受けたのか
その髪は光り、ツンツンと逆立っている
背丈は約170cmある私のヘソの辺り
足首より深い水溜りを避けようともせず
フラフラと蹌踉めきながら
それでいて周囲には目もくれず
真っ直ぐ前だけを見つめて歩いている
その目は虚ろに、しかし奥には殺気を感じた
ストリートチルドレンか…。
だがセブ市で見た、雨ではしゃぐその子達とは明らかに違う。
誰にも心を許した事が無さそうな、そんな全方位に向けた怒りと悲しみが滲み出ている。
その子供は裸足だったのだが、何故か両手でピンクのサンダルを抱えていた。
私はその異様な雰囲気に圧倒され、動けずにいた。
そして目の前を横切り、通り過ぎる瞬間
ポケットから大きくはみ出ている物を見て
血の気が引く
ピストルだ
いやいや…流石に玩具だろう…。
あんな小さな子供が本物の銃を持っているわけがない。
…なんて考えは甘いのだと思う。
フィリピンは銃社会。
許可の下に誰でも銃を持てるだけでなく、密造銃も出回っている。
なので国民の意識には『何かあれば最後は銃が出てくるかも知れない』というのが前提としてあるそうだ。
20メートル程離れて私は少年の跡をつけた。
だが相変わらず蹌踉めきながら歩くそのスピードは、なかなかどうして遅過ぎる。
他の市民は追い抜きざま、すれ違いざまに少年のポケットを2度見し、何事も無い顔をして通り過ぎていく。
その心中が『なんだオモチャか』なのか『ヤバい…見て見ぬふりしよう』なのかは解らない。
少年は他の人に目もくれず、やはりただ前だけを向いて歩いている。
しかしながら目的地がある風にはみえない。
まるで取り憑かれたかのように、自分の意思で動いていない様にすら思える動きだ。
暫くして、道路脇にはパトカーが停まっていたが、少年は怯む事無く、警察官も呼び止めない。
気がつくと、両手に抱えていたピンクのサンダルを履いて歩いていた少年はT字路に差し掛かり、それを右に向かおうとしていた。
私の宿は左だ。
あの子が右に曲がり、十分な距離を確保した上で私は逆を行こう。
そう思った矢先、少年は立ち止まり、少し辺りを見渡して考えた後、何故か急に左へ方向転換したのである。
初めて少年が意思を表した瞬間に見えた。
と同時に、その遅過ぎる歩行スピードに足止めを喰らい、漸く辿り着いた宿の玄関先で、少しずつ遠くなっていく少年と、時折反射して光るポケットの中身を、言い表せないもどかしさを募らせながらじっと見ていた。
再び降り始めた雨に身体を濡らしながら。