ボブと背景
2024/11/13
ポルト3日目。
滞在している宿はいつも通りのドミトリー。安い相部屋だ。もちろん様々な人が集まってくる。
それは必ずしも旅行者だけではなく、とりわけ欧州の最安宿にはシリアスな事情を抱えた人達が多い。
そう、労働者だ。
正確には労働希望者といったところだろうか。つまり、仕事を求めてヨーロッパに渡ってくる人達がイタリアやスペイン、フランスのみならず、此処ポルトガルでも長期で暮らしている。そのほとんどがアフリカ系の移民達だ。
「ハロー」「ハウアーユー?」
こんな何気ない挨拶だって彼らには通じないこともある。それは言語の問題でもあるが、何よりも彼らと私ではスタンスが違う。
「こっちは遊びじゃねぇんだよ」
敵意は向けてこないが、明らかに一線を引いているのだ。
じゃあ私も同じく職探しをしていたら、その輪に入れるのか。いや、それはおそらくNOだろう。
人種の話ではなく(それもあるかもしれないが…)彼ら同士もまた、就職という狭き門をくぐり抜ける為に争っているのだ。むしろ私のように“無害”な人間の方がマシだと思う。
「何のために此処に来たんだ?仕事か?」
彼らは必ずといって良いほど尋ねてくる。
「いや、ただの旅行者だよ」
私がそう返すと、彼らは「ふーん、なるほどね」といった具合で会話を止める。しかし、その表情には微かに安堵の様子。中には素直に喜ぶ者もいる。
私は今まで何度もそういった状況を経験してきた。
この宿にはそんな彼らの兄貴分がいる。
他の労働希望者達へ食事を作り、その代わり食器は片付けさせるのだが、一段落するとシンクを磨き、キッチンの床をモップ掛けまでする。
兄貴は2メートル近い長身で体格も良く、さながらボブ・サップといった強面で、誰よりも鋭い目をしている。年の頃でいうと40代後半だろうか。私には笑顔を向けず、話し掛けてくることもない。
しかしボブはいつも忙しそうに、また必死に誰かと電話をしている。どうやらポルトガル語とフランス語、それに何処かの民族語だと思われるが、とにかく私にはわからない言語だ。英語はほとんど話せないらしい。
それでもしきりに「ビザ」「パスポート」というワードだけは聞こえるので、大体どんな内容かは想像がつく。
ポルト滞在3日目、18:00過ぎ。
同部屋のボブが初めて私に話し掛けてきた。
まるで孫を見るおじいちゃんの様に目尻を下げ、くしゃくしゃの笑顔を向けながら一言。
「Residence」
そう言った彼の手には「居住許可」と書かれた1枚のA4用紙。
私は思わず「Congratulations!!」と返したが、彼の反応を察して、すかさず翻訳したポルトガル語の文字を見せた。
「Parabéns♪(おめでとうございます♪)」
彼は何も言わず、ただ笑顔でグッドポーズを返してくれた。
私は何故か居ても立っても居られず宿を飛び出し、ふと空を見上げると、天気予報にもなかったはずの雨がポツポツと降り始めた。