渋谷と夜明けのブラッドレッド


赤と黒のピカレスクロマン
最新作であるにも関わらず
"帰ってきた"なんて感覚に心が囚われた気がした。

前作ペルソナ4とは対象的な設定であるが
これぞこのシリーズの真骨頂だ、と
どこからか湧いてきた懐かしさのような
デジャヴのような錯覚に
たちまち高揚したのを覚えている。


デザイン然り、BGM然り
彼等の世界は何処かに存在する、
私の取りこぼしてしまった平行世界のような
そんな気がしてならない。


「集合的無意識」
心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した、
分析心理学の中心ともなっている概念である。

この概念をそのままの意味で使用している作品は少なく、ペルソナシリーズでは個人個人の無意識下の観念が民族や国家、そして世界中にまで波及するといったどちらかと言うと潜在意識的な意味と融合した形で使われていると私は解釈している。




結論ペルソナシリーズの中で一番刺さった。

5の場合は人生相談に乗ってもらった感じだ。
寄り添ってくれた感じだ。泣く。

これは舞台がはっきりと現実にも存在する、
"大都会東京"だったからだと思う。

現代社会を象徴する場所であり
全てのカオティックが入り乱れる場所。

認知世界が大きなキーワードそして
突破口となっていた作品であったが、
この話題は我々の生きる現実世界でも
存在する話題である。



量子力学や脳科学
引き寄せの法則、仏教など。
オカルティックな側面はこの世界を解明していると当たり前のように混じってくるのだ。
いやむしろそのような側面の方が大きな割合を占めているのかもしれない。

まだ我々の手で証明出来ていない事を
総じて"非科学"と呼ぶが、
そもそも今この瞬間の事象の内たったの
0.02%しか認識できない人類が何を言うか。
実に傲慢すぎると私は思う。


私達は見ようとしているものしか見えない
しかし、見ようとするものは選べるんだ。

ただ、無意識に見たくないものを選ぶのが
癖になってしまっている我々は
本当に自分の見たいものを無意識に自然に
選べるようになるために少し意識しなければ
ならないかもしれない。

心の声に従う。
それがどれだけ小さなことでも。
小さなことは刺激が無くてつまらないよね。
物足りなく感じてしまう。

私は多世界解釈を取り入れている人間なので、
どんな世界にも私達は生きられると思う。
気になる方は「多世界解釈」を検索して頂けるとGood。

何年生きてきたかは関係ない。
だから遅いとかは絶対にない。
どの地点からでも自分の好きな世界を選んでいいんだ。

ペルソナ5を最後まで見届けて
まさか最後に私の世界と深く繋がるとは
驚き半分、嬉しさ半分、
そしてその世界の解釈を選んでくれて、
肯定してくれてありがとうと思った。










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