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四十八文字の話 特別編 『昭和百年記念。皆様、是非読んで下さい⑤』 「焚書」(ふんしょ)指定本。古代に日本列島まで逃げて来たユダヤ人。でも私達の祖先はそれを受け入れたんですよ。

『我が日本學』( 著者 中山忠直 )より
 ( 前回からの続き )

前回ブログ④で、著者「中山忠直」氏が日本は古代から類い稀な「多民族国家」だ、と述べている事について記しました。たくさんの民族、集団が古代に日本へやって来て、互いに同化、血が混じり合って今現在の私達日本人がいるのです。

その証拠とおぼしき写真を以下に配します。

千葉県九十九里平野、芝山古墳群から出土した「人物埴輪」
通称「ユダヤ人埴輪」

ユダヤ教徒の写真
(  書籍「ユダヤ人埴輪があった!」著者 田中英道  より )

上の写真はユダヤ教徒
下は山岳宗教「山伏」の姿


○ ( 日本書紀 ) 「弓月の君」はユダヤ人リーダーであり、秦氏の祖先

……私は日本人の中にユダヤ人の血が混じっているという事を歴史上から証明したい。
( 日本書紀より ) その根拠となるものは、今より千六百四十九年前、応神天皇の第十四年、皇紀九四三年 ( 西暦283 ) に「弓月の君」( ゆづきのきみ ) が百二十七県の民 ( 三千五~六百人と推定 ) を伴って日本に渡来し帰化した歴史がある。
また ( 弓月の君は ) 融通王 ( ゆうずうおう ) とも書くがどちらも当て字で「ユーヅー」と読む。……

※「弓月」( ユヅキ ) と「融通」( ユウヅウ ) は元々同じ音の単語、言葉であり、その時その時に適当な漢字が当てられた「当て字」であって、 当てられた漢字自体には何の意味も無いです 。

……この「ユーヅー」とはユダヤ人の事ではあるまいか。今でもロシア人はユダヤ人のことを「ユード」と呼んでいる。……

※現代でもユダヤ人の英語表記に「Jew」( ジュー ) が時々使われていますよね。「ユーヅー」と「ジュー」、何か似ている様な気がします😁

「弓月国」の位置
この国の一地域には何と❗「ヤマトゥ = 大和」という
地名が有りました。


……また「弓月の君」の父「功満王」 ( こうまんおう ) がそれ以前の、仲哀天皇八年 ( 西暦199 ) に来朝して帰化している。機織 ( ハタ ) を好くし、秦氏といい、五世紀 ( 所謂、古墳時代 ) 雄略天皇の時、太秦 ( ウズマサ ) の姓 ( かばね ) を賜ったが、これは「秦の始皇帝」を先祖とする、からである。
またその始皇帝の傍系の子孫で日本に帰化した武将に「坂上田村麻呂」( さかのうえのたむらまろ ) がいる。共に「新撰姓氏録」( 平安時代の古代士族名鑑 )に出ている。
始皇帝はユダヤ系である……

※平安時代前期、その田村麻呂と戦った東北蝦夷 ( えみし ) の頭領に「阿弖流為」( アテルイ ) がいます。この「阿弖流為」という字も音に当てた漢字、「当て字」です。やはり漢字自体には何の意味も無いです。

「アテルイ」という名前 ( 言葉 ) には、実は古代ヘブライ語の言葉である「アタ」「アテ」が語源である、言われています。

意味する所は、古代ヘブライ民族の一つで、祭祀一切を取り仕切ったレビ族。そのレビ族の中に、祭祀施設の門衛を司った「アテル氏」がおり、その氏族の名前を意味するのでは、と言われています。

という事は、田村麻呂とアテルイは同じ祖先、同じユダヤ民族の出だ、という事になりますね❗

田村麻呂自らがアテルイに降伏を勧め、朝廷に対して助命嘆願までしたその振舞いには、互いの祖先が「同族同士」という気持ちがあったからでしょうかね?

阿弖流為 ( アテルイ )

またユダヤ人とは特に断定出来ませんが、よ~く見れば「日本人離れ」した人物は昔から沢山います。
この方々の先祖もやはり古代に遠い国からやって来た民族の子孫かも知れません。
特に、貴族 ( 藤原氏など )や大名には平均的な日本人とは違う「面長」の人物が多いのは、それを立証しているかの様です。

ご存知「織田信長」( おだのぶなが )
死後、宣教師によって描かれた肖像画、と言われてる。
土佐藩主 「山内容堂」( やまうちようどう )
薩摩藩主 「島津斉彬」( しまづなりあきら )
明治時代の外務大臣 「陸奥宗光」( むつむねみつ )
陸奥宗光の妻  「陸奥亮子」( むつりょうこ )


明治時代 日本海軍参謀 「秋山真之」( あきやまさねゆき )
明治時代の外務大臣 「小村寿太郎」( こむらじゅたろう )
小説家  「樋口一葉」( ひぐちいちよう )
※右側の女性
前五千円札の肖像画とはかなり印象が違いますが
正真正銘、ご本人です。
内閣総理大臣  大蔵大臣 「高橋是清」( たかはしこれきよ )
書籍「我が日本學」によれば
高橋是清が首相になった時
西洋では
「今度の日本の首相はユダヤ人だ」と
騒がれたそうです。
※私にはやはり「だるま」としか見えませんが🙇


大正天皇皇后  「貞明皇后」( ていめいこうごう )
出自は九条家 ( 藤原氏 ) 


博物学者 民俗学者「南方熊楠」( みなかたくまぐす) 
実業家  吉田茂総理大臣の側近 「白州次郎」( しらすじろう )
徳川十五代将軍 慶喜の孫 作家「井手久美子」( いでくみこ )
歌手 「尾崎紀世彦」( おざききよひこ )
歌手 「布施明」( ふせあきら ) 



〇何故、多種多様な民族達が日本へやってき来たのか?


著者中山氏はその理由を、日本国の位置、気候、雨量などに裏打ちされた「現在力」、別の名称では「地理力」による、と述べています。

……古代バビロニアには、よく似た共通文明を持った、スメル、ヒッタイト、ヘブライなどの諸民族が住んでいた。日本人にとってはこれらの民族の区分けなどとても難解な事であり、どちらを見ても兄弟民族として見えるだけだ。
だが、同地方の【地理力】が、それらのバビロニアの諸民族に「排他的民族性」を養わせ、個別的、小民族として独立させ、これがこの地方に早くから「都城国家」が形成させてきた理由である。
こうした近接した類似民族は「興亡盛衰の理」、「民族移動の法則」の流れで、ユーラシアを横断して日本にやって来た。……

バビロニア地方の、その土地特有の「地理力」により、この地域に紛争、領土の取り合い、そして日本には存在しなかった労働力としての「奴隷制度」などを形作り、その為特にヘブライ民族( ユダヤ人を含む )は、この抗争地域から逃れるため移動を開始した、と。

そしてこの移動は何百年にも渡る単位で行われており、いきなり日本に来たわけではなく、一部の人達は途中のインドで立ち止まり定住したり、また「弓月国」の様な国を作り、暫くしてから後に日本に来る、といった具合で、「民族移動」と言っても様々です。

そしてある日、ある場所で

「東の方に何か良い国がある」
「そこは争いの無い平和な国らしい」

との噂、また先に日本に着いている同族の話などが伝わってきたのかもしれません。

日本の縄文時代の長い「一万年」は、その遺跡跡が示す通り、争いがただの一度も起こっていない❗

何でも受け入れられる平和な風土を持った地域。
正に中山氏の言う、日本列島の【現在力】【地理力】がこの平和を築き、他の諸民族が憧れる「蓬莱ノ国」となった様です。

だから、古代バビロニア時代、更には近代ヨーロッパ時代までの過酷な環境から逃れるため、多くのユダヤ人達が日本列島に移動して来たわけです。

最後に著者「中山忠直」氏の言葉を記して、終わりたいと思います。

……ユダヤ民族は有史以前に早くに日本へ渡来し、全くの「日本人」として同化してしまい、渡来以前まで持っていたであろう、ユダヤ人特有の信仰も人生観も忘れ果ててしまい、同じ「惟神( かむながら )の徒」としてこの日本に住んでいる。
過去においてそうだったように、日本の「地理力」は今後も将来もユダヤ人を同化する必然力を持っている。
このような日本に対し「反逆」( ※注 )を企てるのは、神から、ユダヤの神から天罰が下るであろう。……

( ※注 )
この当時日本と戦っている中国、そして後に戦う事になるイギリス、アメリカ、旧ソビエトを影で操っている集団、それが正に「ユダヤ」である事を言っています。
これは「トンデモ話」ではありませんよ。


( 終わり )

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