四十八文字の話 特別編 『昭和百年記念。皆様、是非読んで下さい④』 「焚書」(ふんしょ)指定本。日本は稀な多民族国家 当然ユダヤ人も含まれる。 日本人の感性は世界の他諸国とは全く違う。
『我が日本學』( 著者 中山忠直 )より
( 前回からの続き )
〇多種多様な民族が日本へやって来た
著者中山氏はこの様に述べています。
……日本は人種学的にも説明尽くされているように、実に雑多な(古代からの)民族の「混血のるつぼ」であるが、過去から今現在まで他の諸外国がいつでも悩んでいる人種間の軋轢や不統一を起こすこともなく、あたかも同一の先祖から出た純血民族、まるで兄弟のように、否それ以上の親しみを持って一致団結している……
※日本は太古より世界的にも稀に見る「多民族国家」です。
時期としては、それこそ一万年前の縄文時代の頃より、南方の海から、大陸から、半島から、多くの集団、民族が日本列島へやって来ました。
その中には、好戦的な集団、迫害から逃れてきた民族がいただろうと思われます。
そういった集団が日本に着いて、もう既に先に日本列島に来ていた集団と融合し、血が混じり合えば、ハッキリと「紀元前何年頃に、〜人が来ていた」、とは中々断言出来ない程、です。
大陸の西方、中近東地方と言うと我々日本人は大変遠いイメージを持ちます。
が、ある専門家に言わせると、天候にもよりますが、約一ヶ月程でユーラシア中央部を横断してしまい、中国などの東アジアに着くそうです。
シルクロードには昔から通商、貿易の人々が大集団で往来していましたから、当然と言えば当然の話ですかね。
更に海からの移動ならば、インド洋〜マラッカ海峡〜台湾海峡を経て、もっと早く着けたことでしょう。
因みに「縄文式土器」が南米各地から発見されている事実を考えると、古代の航海技術はホントに馬鹿には出来ません。
この書籍『我が日本學』が刊行されたのは昭和十四年(1939)。時代は大陸において、日本と中国の全面戦争が始まった年です。
日本と中国は敵同士。当然敵国対して持つ互いの国民感情は想像出来ますよね。
ですが、この時の日本、引いては古代から引き継がれている日本民族の感情は違った、ようです。
……日本と支那(シナ : 当時の中国の呼び名)は現に今、戦っている。それなのに日本の内地では誰一人として在留の支那人を迫害する者はなく、彼ら(支那人)は戦前と少しも変わらないように商売しているし、かえって気の毒がられ、戦前より一層よく保護されている。……
……それに引き換えて支那はどうだ。戦争に直接関係のない日本の商人や子供が、束になって虐殺されている。……
この違いは何なのか?
著者は戦争における日本人と中国人の違いについて、話を続けます。
……(中国側の)戦争だからといって非戦闘員までをも憎む、その心理が(著者には)了解されないのである。
(日本側は)戦場で取り残された乳飲子(当然、中国の子供)などをみつけると、その子を背負い、何とかして安全な場所まで連れて行こうとする。
これは何も今回だけでなく、明治二十七〜八年(1894〜95)の日清戦争の時においても、珍しい話ではない。……
更に話は西洋まで及びます。
……明治三十七〜八年(1904〜05)の日露戦争の時は、日本はロシアの捕虜を全くの「お客様」として扱った。
また西洋世界でのユダヤ民族に対するホロコースト、大虐殺の話を聞くと
「なぜ同じ国に住んでいるのに、憎むのか?
なぜ、仲良く出来ないのか?」と、不思議に思う。……
※ロシア軍捕虜収容所があったのが愛媛県松山市
……日本では現在( 大正~昭和十年代の頃 )、「ユダヤ民族による世界的陰謀」が盛んに研究され、識者はかなりの知識を持っているが、日本に住むユダヤ人は憎まれてはいない。なぜ日本人には人種的偏見がないのだろうか?……
〇そして話の真骨頂❗
話が急展開します。
どうぞ、読んでみて下さい。
……私はユダヤ人が、日本建国の精神を理解せず、イギリス、アメリカ、ロシア、そして支那(中国)の背後に存在し「傀儡」(かいらい)として、日本殲滅の包囲網(=連合国)を展開している事実を憎み、日本民族の正義と武勇にかけても戦おうと決心している。
否、私は十数年前から「ユダヤの陰謀」と血みどろに戦っている。
それはユダヤが「文化」の名を名目に、まず日本民族の精神から去勢しようと医学、教育、新聞雜誌、文学に対し行ってきた【墜落と退化】に対する戦いである。……
※とても一般の、普通の一市民の意見とは思えない、と感じてしまうのは私だけデスかね😂
(著者は軍人、官僚、政治家ではないです)
これが戦後の「自虐史観」を受けて育った( 私の様に )者、との違いなんでしょうか。
ですがこの大正、昭和初年から十年代は、今となれば「トンデモ話」と笑われてしまうであろう「ユダヤ陰謀論」などが驚くほどに研究されており、また「日本人の起源」の観点から西南アジアの古代民族、スメル民族、ヘブライ民族、ヒッタイト民族やアッシリア民族などが盛んに研究されていた時期です。
中山忠直氏はこういった他の人物の書籍も参考にしてました。
以下に例を述べると、
〇伊予國一ノ宮「大山祀神社」宮司 三島敦雄 著
『天孫人種六千年史の記録』 刊行 昭和二年 (1927 )
この書籍で三島氏は、日本各地の地名、神々の名前の多くが「古代シュメール語」を語源としている、また天皇陛下を呼び名である「スメラ=ミコト」もシュメール語が語源である事を証明しました。
この書籍も戦後、焚書にされました。
また私がこのブログを書くに当たり、初めてその存在を知った方もこの書籍に登場します。
今でもよく耳にする、歴史オタクも好きな題材
「ジンギスカンは源義経説」
これを調査するために、わざわさ陸軍省文官試験を受験して合格し、その後、通訳官として大陸に赴いて、許可を得て満州、モンゴルなどを現地調査をした人物です。
〇牧師 通訳官 小谷部全一郎 著
『成吉思汗ハ源義経也』 刊行 大正十四年 (1924)
またこの方、「日ユダヤ同祖論者」でもあります。
『日本及日本国民之起源』
(竹越与三郎序文・頭山満題字)
刊行 昭和四年(1929)
「猶太経典」=旧約聖書の独自解釈(類似の先行文献を踏まえた)から、日本人は希伯来(ヘブル)の正系であり「猶太民族と同種」とする、いわゆる日猶同祖論を展開しました。
〇敵を憐れむ
この勢いならば、この書籍ではユダヤ民族を否定していく内容となると予想出来ますよね?
ですが中山氏の論調はそんな単純な物ではなかったのです。
それは次回に。
( 続く)