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四十八文字の話『ク』 公卿3(歴史から名が消えていく人々)

「公卿」さん達を主役にして、例えば

「暴れん坊 お公家様!」               「七人のお公家様」                 「遠山のお公家さん」                とかなんかのドラマを作り放映したにしても誰が観ます?

視聴率を稼げないドラマなんてテレビ局も作りませんし、映画にもなりません。これでは、いつまで経っても  「公卿」の方々は一般人には知られる事はないです。

一方「武士」に関しては、皆さんは小さい頃から    おじいちゃんや親から武勇伝などを聞かされ、学校の授業でも教わり、「武士」に対する『予備知識』が     『刷り込まれて』います。              ですから「時代劇」を観たとしても取っつき易いのです。

私が、先程述べさせて頂いた、           「私の知っている『公卿』」の方々は         それでも比較的に世間一般には知られている方々ですが、このエッセイを読んで頂いて、その存在を初めて知り  「中々魅力的な「公卿」もいたのだな」と思っている人もいらっしゃるのではないのでしょうか?        

奈良時代以前からこの日本における指導層であった以上、私は、実はまだまだ世に知られてない大変重要な役割を担った「公卿」の方々(政治の面は勿論、文化芸術に関しても)がいらしたのではないか、いや、いらした筈だ!、   と私は思っております。

室町将軍、徳川将軍の数はそれぞれ15人。      では、奈良時代以前からの「太政大臣」「左大臣」   「右大臣」はいったい何人いたのか?         なのに「歴史教科書」に載っている人数の圧倒的少なさは何なのでしょうか?

私は専門家でもなんでもないので、これ以上は「憶測」 でしか言えません。

ですが、敢えて言うならば、現在の学校制度の始まりは 明治時代ですから、勿論、教科書などに記述されるべき基準、と言った取り決めもこの頃に決まったのでしょう。 昭和前期(戦前)の教科書を見た事は有りますが、     現代の教科書に比べ歴代の『天皇陛下』(初代神武天皇、仁徳天皇など)が多く書かれていた記憶が有りますが、   やはり「公卿」が記述されていたか否かの憶えは有りません。                        

となると、「公卿」の扱い方が明治時代からと変わってない、と言う事になり、    そうであるならば、この現象は      とても「根が深い」気がします。


「『公卿』は基本的に教科書には載せない」と言う方針が明治時代に決定されていた、のではないかと推察されます。                        

ではどういう理由か? までは、それを証明する根拠が ないので何も言えません。 

このエッセイにおいて記している「武士」と「公卿」の 歴代教科書における扱いの違いにより、現在の風潮の基が形作られいるならば、如何に『教科書』が重要であり、 子や孫の世代に、

この日本の『本来大らかで優美な文化』を 伝えるに当たり『歴史教育』の重要制‼️を 真摯に再考すべきであるかと思います。


教科書を作成するのは大手出版社ですが、それを認定するのは、「国家(文部科学省)」です。           その「認定制度」も何十年の昔から同じ様に続いている ので、慣例化による『形骸化』が発生し制度疲労して  いるのではないでしょうか?

教科書における内容について少しでも国民の意見を聞き入れる制度があれば!、と思う次第です。


ては、失礼します。

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