幸せを感じる日が一年に何日あるのか

「今日は幸せな一日だっだな」と思える日が、一年のうちに何日くらいあるのだろう…なんてことを昨年考えていた。散歩をしながら。

なぜそんなことを考えたのかはっきりとは思い出せないけれど、たぶんその時期は少し気分が沈んでいたんだと思う。それでも、一年を振り返ったら幸せな瞬間はたくさんあるはずだ、とか思いたかったのかもしれない。そしてそれを可視化したいと思った。

記録をつけるのに丁度いいアプリはないだろうかと探して、見つけたのが「MOODA」という有料アプリ。

その日の気分に合ったアイコンを選んで、一言二言書いておく、というもの。昨年の6月から使い始めて、昨日までで309日。日記はなかなか続かない僕だけど、これは続いている。

まだ一年経っていないけど、「今日は幸せな一日だったな」が何日あったのかを数えることにした。6月まで待とうかとも思ったけど、もうだいたいわかったというか、今集計したくなっちゃったので。

結果、20日あった。309日のうち20日。約6.5%。月に2日ほど。

これが多いのか少ないのかはよくわからない。でも、悪くないな、という感じはしている。

で、「だいたいわかった」というのは、その内訳である。

「会いたい人に会った日」が12日。20日のうちの12日で、圧倒的な1位だった。気の合う友達だったり、劇団の仲間だったり、家族だったり。ここ数年、なかなか思うように会えなかったからというのも大きいだろうけど、やっぱり会いたい人に会うってのが一番幸せを感じるんだなってことがわかった。

忙しい日々の中でも、会いたい人に会う時間は何としても作らなきゃな。

他には、「俳優としての仕事をした日」「大好きなオードリーでめちゃくちゃ笑った日」「おもしろい舞台や美術展を観た日」「長年欲しかった物が届いた日」などがあった。あとは、カテゴライズするのが難しい「ささやかな幸せが複数重なった日」なんかもあった。

さて、ここまで書いて「幸せな一日を増やしていきたい」的な感じでまとめようかとも思ったけど、やっぱりやめた。

「幸せな一日」だけが素晴らしいのかというと、そんなこともないのではないか。気分とともに記録した一言二言を読むと、それ以外の日だってなかなか捨てたもんじゃない。

毎日が素晴らしいなんて言うつもりは無いけれど、「雪で電車が遅延した日」だって、「髪型をセンター分けに変えた日」だって、「牛肉うどんを作って食べた日」だって、「お風呂の洗剤のレバーが折れた日」だって、振り返るとなかなか捨てたもんじゃないんだよ。

「幸せな一日だったな」も増やしたいけど、「捨てたもんじゃないな」を増やしていってもいいのではないか。そして「捨てたもんじゃないな」を突き詰めて考えると、また退屈論に行き着くような気がしている。

「捨てたもんじゃないな」って日には、たぶん退屈から逃れる何かがあったのだ。同じことの繰り返しから逃れる何かがあったのだ。

退屈論は幸福論に繋がっているのかもしれない。

引き続き、考えすぎない程度に考えます。記録をつけながら。

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