「目立つこと」を練習する
ぼくは口下手で寡黙なタイプの人間なので、意外だと思われることもあるのだけど、子供の頃とにかく目立つことが好きだった。「目立ちたい」という気持ちが原動力だった。
目立ちたいから学級委員をやっていたし、目立ちたいから合唱では指揮者をやったし、目立ちたいから授業中に積極的に手を挙げて発言していた。
クラスで一番足が速いわけでもないのにリレーのアンカーをやったのも目立ちたいからだし、児童会の選挙に立候補したのも目立ちたいからだ。
サッカーをやっていたときには、目立ちたいからキャプテンマークを巻きたかったけれど、キャプテンにはなれなかった。
とにかく、目立ちたかった。(しかし同時に恥ずかしいという気持ちも抱きながら)
そんなことを、昨年思い出していた。
でも、演劇をやっていると、「目立ちたい」という気持ちは邪魔になることが多いなと思っていた。自分の「目立ちたい」という気持ちより、「作品を良くしたい」という気持ちの方が大事だよな、なんてことをたぶん無意識に思って「目立ちたい」という気持ちは隠すようになっていった。(時々隠しきれずに出ていたこともあると思うけれど)
昨年の11月、“ビッグボス”新庄剛志監督の就任会見を見た。
「カッコイイ!!!」と思った。心の底からそう思った。
周囲へのリスペクトを持った上でのサービス精神だとか、ちゃらんぽらんに見えて戦略的な思考だとか、いろいろあるのだけど、何よりあの年齢で、監督という立場でありながら「目立ちま〜す!」と言えちゃうところ。
「カッコイイ!!!」
何だか胸の奥の方が熱くなるのを感じた。本気でカッコイイと思った時って胸の奥の方が熱くなるんだね。
ぼくは自分の「目立ちたい」という気持ちと、もう一度向き合ってみたいと思った。
演劇においては「目立ちたい」という気持ちは邪魔になるのかなと思っていたけれど、とある人から「それはうらちゃんの中に目立つことのノウハウが無いからじゃない?だから演劇と結びついてないんじゃない?」と言われた。
そうか、そうかもしれない。
野球だって同じか。チームの勝利を目指す上で、「目立ちたい」という気持ちは邪魔になりかねない。でも、ビッグボスのそれは邪魔になるどころかチームの力になってるんだもんね。
演劇をやりながら、邪魔をせずに「目立ちたい」を叶えることもできるのかもしれない。主役をやるとか、そういうことじゃなく。
今年は、目立つことを練習したいと思っている。目立つという技術を獲得すべく。