だらだらと書く

今回は、実験的にだらだらと書いてみたいと思ってるんやけど、なんでだらだらと書いてみたいと思ったかというと、川上未映子さんの「乳と卵」を初めて読んで、だらだらと長い文章を関西弁で書いているのが印象に残ったというかなんだか気に入ったというかそういう感じで、だから地元三重の方言も交えつつだらだらと、あんまり整理せずに書いているわけであります。


最近思ったことと言えば、キムタクのマックのCMがけっこう好きやということで、あのミスマッチな感じが逆にめちゃくちゃ合ってるような気がして、キムタクとマック相性ええなというか、マックのCMもキムタク色になるのやっぱさすがやなと思った。ところで、ぼくが住んでたところではマックと言ってたけど、三重でももう少し西の方に行くとマクドに変わる。


朝の占いとかで最下位を発表するときに「ごめんなさい〇〇座のあなた」って言うのがけっこう嫌いというか、ちょっとムカついてしまう。謝らんでええよと思う。昔はごめんなさいって言ってなくて、あるとき急に言い出した気がするんやけど、その最初のごめんなさいはホントにごめんなさいと思って出てきた言葉な感じがするけど、ごめんなさいが当たり前になってからのごめんなさいはホントには思ってない感じがするんよ。最近は朝の占いとか見てないから、今でも言ってるのかは知らないんやけど。


サッカーをやってた頃、よくコーチは「ボールの上に座るな」と言ってて、ボールを大事にしろということなんやと思うけど、サッカー番組とかでプロの選手、しかもバリバリのスター選手とかが普通にボールに座ってたりするのを見ると、あのときのコーチの教え何やったんやとか思ったりもする。座るから大事にしてない、座らないから大事にしてるってことでも無いんやろなあ。


なんか昔、子どもの頃、目を閉じるとよく「何かがくしゃくしゃになるイメージ」が頭の中に浮かんでた。これ、説明するのがすごく難しいのやけど、何かがくしゃくしゃになる映像が見えるというか、いや正確には映像ではないし、もっと言えば「くしゃくしゃになる」という表現も正確じゃない感じがして、もっとこう、「むにゃ」とか「ぬきゃ」みたいな。いや、ちゃうな。言語化できやんイメージ。でも、いつからか現れなくなって、この話を劇団の同期にしたら、「それ、わかる」と言ってて、「俺も似たようなことあった」と。もしかして、子どもの頃にはみんなこういう経験をしていて、でもほとんどの人が大人になったら無くなって、大人になってもそういうイメージを失わない人が、芸術家になったりするんかな、なんて思ったり。


今回のは、とても読み辛い文章になっていると思うけど、こういうふうに書くのも悪くないかもしれない、楽だし楽しい気持ち。なんだか自分じゃない人に自分のことを書かせてるような、てるてるような、変な感触。ちょっと小説を書いてるようでもある。


そう言えば、ぼくは冬に手袋無しで自転車に乗ってる人を見ると、信じられん、という気持ちになるのであります。冬に手袋無しで自転車に乗ることより辛いことを、ぼくはあまり知らない。

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