この道しかない、なんてマジでない
「みきちゃんってほんとネガティブだよね」
みたいなことを言ってきた人がいる。
わたしはネガティブが悪いことだとは思ってないのでどうでもいいんだけど、
そのときのこの言葉の裏には
「そんなんじゃ人なんて動かせないよ」
「そのやり方まちがってるよ」
みたいな意図があった。
たのしさは連鎖する、と言われる。
ほんとにその通りだと思ってる。
たのしいことって見てるだけでもたのしくなるし、
参加したらもっとたのしくなるし、
いいことがいっぱいある。
だからたのしさってすごく大切だし大切にしたいし大切にしてる。
わたしのこと見てくれてる人はわかってくれてると思うんだけど、
基本的にわたし普段はめちゃくちゃたのしく生きてるのよ。
でも、じゃあ悲しいことや苦しいことは表に出したらいけないんだろうか。
悲しいことや苦しいことを語ったり共有したりすることはネガティブなことで、
それらは連鎖も共感もしないから、たのしいことに変えなきゃいけないんだろうか。
いや〜そんなことないでショ、と思ってる、わたしは。
たのしいときや調子いいときは、
ほっといてもたくさんの人が周りにいてくれるじゃん。
でも崩れそうなとき、しんどいとき、行き詰まったとき、
そういうときは孤独だったり、
ほんとは孤独じゃなくても一人ぼっちのように感じたりしてしまうものじゃないかな。
そんなときの場所があってほしいし自分もそうなりたいなって思ってる。
それがネガティブって言われたら、もーネガティブでいいよ、ってなる。
また、
ネガティブなこともたのしくやって、たのしさを連鎖させるほうを重視する場面もあるのもわかる。
でもそれでほんとうにその課題の深刻さを理解したり共有したりできるのか、
ときには深刻な場面には、たのしさなんて生み出せないこともあるんじゃないかな、と思う。
「ネガティブを望んでるからネガティブを呼んでるんだよ」
みたいなことを言ってきた人もいる。
なんかもう・・・コメントするのもバカバカしくなってくるわ。
いや、確かに私生活でそういう矛盾ループに入る人とかこととかってあると思うよ?
んでも社会活動にソレ言われたんじゃ………ねえ?
しんどいことをなんとかしたい、って思って、
それをただまっすぐに言うと「ネガティブ」って言われる世界こそ「ネガティブ」じゃないすか?
こっちはポジティブに行動してんすよ。
でもまあ、
今の世界のままでいいと思ってる人から見れば、
わたしのやってることも言ってることもネガティブそのものだし批判的言動は不快でしかないだろな、それはしょーがないな。
でもわたしは今の世界のままでいいと思ってない、いいわけないと思ってるんで、それもしょーがないんです。
もちろん、あらゆることをたのしくする努力はしまくります。
今もたのしくやってます。
明日はマンモスのある田んぼでめちゃくちゃたのしいカラオケ大会します。
でもたのしくできない「こと」や「とき」もある。
それも大事だとわたしは思ってる。
ただそれだけのこと。
批判イコールネガティブと思われるのも勘弁して、ってなる。
批判は、嫌いとかいう感情で言ってるんじゃないし、こっちはその人の非難したり人格否定したりしてるんじゃないんだよ。
ネガティブもポジティブも、
どっちもあるから人間なんだし不完全でもぜんぜんいいんだよ。
光と影、白と黒、表と裏、どっちもどっち、おんなじなんだよ。
どちらも携えて生きよう、と思ってる。
どっちかじゃないといけない、とか
この道しかない!みたいなのをわたしは信用してないだけ。
自由が好きだし、いろんな人やものごとがある世界に住んでる以上、迷ったり悩んだりするのも当然だと思うから。
ChooseLifeProjectの先日の配信
とても心にズッシリと刺さったので貼っておきます。
お時間あればぜひご視聴ください。
この道しかないなんてないって書いてきたけど
こんな虐殺なんかとにかく止めたい、止めなきゃいけない、って思ってる。
わたしたちの手で終わらせたい。
止めたい。
みなさんの力を貸してください。
上の動画にはその行動のヒントが話されています。
今日も田んぼで仕事してきます〜
日常が訪れる幸せを噛みしめてます。
みなさんにもいいことありますように!