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パイサーン師の説法~退屈と友だちになる(2)飽き飽き・退屈が生じているということは、〇〇が生じていないということ
タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。
昨日からはまた
スカトー寺現住職パイサーン・ウィサーロ師の
説法を訳しています。
普段この時期にはあちこちでの説法に
お呼ばれしたり、国内外での会議にお忙しい
パイサーン師も
現在はスカトー寺、そしてその姉妹寺である
森の寺マハーワン寺にて過ごされています。
リモートでの生説法などの機会もあり
またこれまでもアップされていた朝夕の説法。
COVID-19の感染拡大を受けての
心の持ち方、具体的な身の実践などについても
日々貴重な説法を配信されています。
この説法もそのうちの一つ。
テーマは
『退屈と友だちになる』
です。
そして今日の部分のタイトルを
「飽き飽き・退屈が生じているということは、
〇〇が生じていないということ」
としました。
退屈・飽き飽きという心の症状に学ぶ説法。
さて、あなたなら〇〇に何を入れますか?
パイサーン師による心の症状の観察。
よくよく観てみると
退屈・飽き飽きの善き側面が見えてきます。
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