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スティサート師の説法~自分を感じることに、なぜ?はない(7終)アチントライ(不可思議さ)に気を取られない


タイ仏教のお坊さまの説法を訳しています。


登場いただくお坊さまは、

スティサート・パンヤーパティポー師。

森の寺スカトー寺の副住職であり

今私が家族と住んでいる

ウィリヤダンマ・アシュラムでも修行されています。


まだ40歳とお若いスティサート師ですが

すでにお坊さま歴18年。


スカトー寺先代住職のカムキエン師、そして

現住職のパイサーン師の元で学び

カンポンさんともとても親しく

中国への瞑想指導にご一緒に行かれたことも。


次なる時代を担う素敵なお坊さまです!

今訳している説法は、

昨年8月に行われたスティサート師たちの師匠

カムキエン・スワンノー師の偲んでの瞑想会で

お話された説法です。 今日でこのお話は終わります。


テーマは、「自分を感じることに、なぜ?はない」

最後の部分のタイトルは

「アチントライ(不可思議さ)に、気を取られない」

としました。


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