パイサーン師の「ベッドサイドの仏教」(3):体が動かなくてもできる、タンブン(徳を積むこと)
タイの森の寺、スカトー寺の現住職
パイサーン・ウィサーロ師の本を翻訳しています。
本のタイトルは
「ベッドサイドの仏教
ー死にゆく方たちへの法(タンマ)の言葉」
です。
パイサーン師の活躍はとても広くて
仏教的ターミナルケアについても尽力されています。
お坊さまが病める方、死にゆく方を訪ね
苦しみの心を和らげる手助けをする。。
その活動の一端が垣間見えるのが、本書です。
今日も、マーナさんという男性を
訪れた時の話の続きです。
「体が動かなくてもできる、タンブン(徳を積むこと)」
と題しました。
タイの方と話しているとよく出てくるワード。
タンブン。
徳を積むということで
目には見えないけれども
良き尊いものを積み上げているような
イメージです。
多くが、お坊さまに食事を捧げたり
生活に必要な品やお金を寄付することを指します。
捧げることによって、積める徳。
今日は、たとえベッドの上にいても
積める徳についてのお話をされています。
何か私まで、勇気づけられてきました!
もしかしたら今、このnoteを
ベッドの上で読んでくださっている方がいるかもしれません。
今ここででも、積める徳。
知っていただけたら、嬉しいです。
。。。。。。。。。
徳を積むことは
どこにいてもできることです。
そして徳がこぼれ落ちることはありません。
ベッドの上で横になっていても
家にいても
病院に入院していても
良き徳は私たちの心を穏やかにしてくれます。
先ほど、あなたのお子さんやお孫さんたちが
あなたに代わって
サンカターン(訳注:お坊さんにお布施するいろんな物品)を
捧げて下さいましたよ。
それ以外にも、毎朝お坊さまへの朝食を
お布施してくださっているそうです。
ですからあなたは是非その徳を受け取り
あなた自身の心を楽にさせていってくださいね。
もう一つ大事なことは
あなたがベッドにいる、今この時も徳が積めるということです。
歩くことができず、
話すことができないのに、どうやって徳を積めるのか?
と思われるかもしれませんね。
どうやって徳を積むのか。
それは心によって徳を積むのですよ。
心を楽にすることによって、徳を積んでいるのです。
良きことを思い起こしてみてください。
怒りを誰かに向けるのではなく
慈愛を向けてみましょう。
これが心で徳を積む、ということですよ。
3つの方法で徳が積めます。
体で、言葉で、そして心で、です。
今あなた自身は体で徳を積むことは
難しくなっているでしょう?
そして言葉で徳を積むことも、難しいでしょうね。
でも、心で徳を積むことは
今この時でもできるのです。
ですからあなたが今ここにいても
できることがありますよ。
もう自分は何もできない、、などという考えに
取り巻かれないこと。
たくさんのことができるんですからね。
自分自身に許しを向けることも徳を積むことですし
他者に対しても徳を積めますよ。
例えば、怒りを相手に向けない
傷を与えようとしない、
文句を言わない、、
これらもまた心によって徳を積んでいることなのです。
(続く)
。。。。。。。。。。。。
浦崎感想
私たちができる行い。
仏教では、3つに分けて考えることが多いですね。
それは、
身(身体)
口(言葉)
意(心)
心での行ないは、目に見えず、耳にも聞こえませんから
あまり普段は意識することがないかもしれませんね。
しかし、まさに心での行ない。
心のおしゃべりは、意識的であったり
無意識であったりして、常に行ないをし続けています。
心で積む徳。
自分や人を傷つけたり
言葉を実際に口に出さなくても
私たちは無意識に徳を積むこととは逆の行ないを
してしまっているかもしれません。
ベッドの上にいるとなおさら、身体の動きが制限されますから
言葉や心の行ないが活発になってしまうことも
容易に想像できます。
動けなくなっても、話せなくなっても、できることがある。
この視点を持つことは
いずれ誰しも死を迎える私たちに
最期の瞬間までなすことがある、と
勇気づけられますね。
何もできない、、という思考に襲われることがあったら
今日のこのパイサーン師のお話を
思い出していきたいと思いました。
心で積める徳。
今ここから、始めたいと思います!
応援やサポートをいただくたびに、これからも翻訳や執筆を続けていこう!と励まされています。