スティサート師の説法~自分を感じることに、なぜ?はない(5)カムキエン師が、本当に関心があったのは?
タイ仏教のお坊さまの説法を訳しています。
登場いただくお坊さまは、
スティサート・パンヤーパティポー師。
森の寺スカトー寺の副住職であり
今私が家族と住んでいる
ウィリヤダンマ・アシュラムでも修行されています。
まだ40歳とお若いスティサート師ですが
すでにお坊さま歴18年。
スカトー寺先代住職のカムキエン師、そして
現住職のパイサーン師の元で学び
カンポンさんともとても親しく
中国への瞑想指導にご一緒に行かれたことも。
次なる時代を担う素敵なお坊さまです!
今訳している説法は、
昨年8月に行われたスティサート師たちの師匠
カムキエン・スワンノー師の偲んでの瞑想会で
お話された説法です。
テーマは、「自分を感じることに、なぜ?はない」
第5回めのタイトルは
「カムキエン師が、本当に関心があったのは?」
としました。
スティサート師と修行者とのやりとり
昨日に続いてのお話。
そして最後の方には、カムキエン師の話も
出てきます。
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