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【超短編】かみさまのルージュ

ーーかみさまは死にました。

日曜の昼。いま思えば、何かの凶兆のように真っ青な快晴だった。春先だというのにアスファルトが燃えるように熱かった。転んで膝をついたから知っている。運が悪かった。
ぼんやりと眺めていたSNSで人身事故のニュースを見た。夜中に眺める過剰摂取じみたジャンクな情報。画面外に流そうとして、太字表示された文が指を誘った。あっ!

ファッション誌「Rouge」のメインモデル シャシャが昨夜に自殺

ダークモードの画面に薄く自分の顔が見える。心臓が急速冷凍されるようだった。
そのひとは友人のかみさまだ。

「Rouge」は現代人に和服を広めることを目的としたファッション誌で、彼女はそのメインモデルを務めていた。短い眉に真っ黒な髪、真っ赤なルージュ。オーダーメイドのピアスをつけていて、確か友人はどうしてもそれが欲しくて、見様見真似で作ったと言っていた。それくらい友人の世界ではシャシャがすべてであり、かみさまであり、推しであった。
友人はデザイナー志望。毎月「Rouge」を買ってはシャシャの着ている服をほとんど手に入れていた。花魁の衣装をモチーフにしたドレスが載っていたときは手に入れることができなかったが、写真を頼りにそれっぽい服を完成させていた。それもこれもシャシャが着ていた服だからだ。
そんなかみさまが死んだ。

「シャシャ様、この世界の何が気に食わなかったんだろうね」
月曜日。ちょうど「Rouge」の発売日。メインモデルが死んだ三日後に彼女が表紙の雑誌が本屋に並んで、そこだけタブーのように、または現実から目を背けるように。新刊の棚のくせに誰ひとり立ち止まらない。それがいよいよ都合が良かったようで、友人はまだ会計前の雑誌をしわが寄るほど抱きしめて目を伏せた。シャシャを独占しているみたいに見えた。
「自殺。嗚呼、でも、自殺でよかった。シャシャ様の命だから、シャシャ様が終わりを決めたんだ、だれかに殺されてはいなくて、よかった」
シャシャは紙の内側でにこりともせずこちらを見ていた。その視線から滲んだ訴えに気付いたふりをしてわたしは目を逸らす。
「自殺だってほぼ他殺みたいなものだと思う。だれかがシャシャの精神を殺しちまったんでしょう?」
「嘘だ」
友人の視線はすべてを刺し通すほどに鋭く、紙も棚も壁も貫いて、シャシャだけを探していた。そこまでファンでもなかった自分のほうが、こっそりとまつげを湿らせていた。シャシャが死んだことよりも、シャシャを好きな友人が憔悴しきってしまったことに。

ひとが死んだって、その日だけご冥福をお祈りして、また翌日になりゃあ、世界は何食わぬ顔で命を隠蔽するのだ。ずっとずっと悲しんでしまうのはそのひとも望んでないよってインターネットに書き込まれて、そんなあっさり笑えるのはたいしてそいつを愛していなかったからだろなんて、反抗的または爪が欠けるような悔しさ、憎さを、ぶつけることすら馬鹿らしくて。そうやって画面越しで首を絞められるような苦しさがひそやかに、慢性的に、自堕落な日常の一部になっていく。もし自分が死んだって世界は変わらないんだって、それが確証に変わってしまって、安心だか絶望だかわからないが、死に対する嫌味のひとつでも吐けそうな気になってくる。
要は現実味がないだけだ。会ったこともない人間の死なんて、ある種娯楽的な消費でしかない。シャシャの最後の表紙を抱いて涙するほど、なにかだれかを愛していられるなんて少々羨ましくもなっちまう。なんという、アイロニ。

暫く棚の前で立ち止まった友人からそっと離れて、特にあてもなく本屋内を縫い歩いた。すれ違った店員に声をかけて、
「Rougeってファッション誌、新刊の数がなんだかいつもより多くありませんか」
と聞けば、
「たしか、メインモデルが亡くなったから、みんな買っていないらしいですよ」
だそうだ。そのひとは続けてこうも言った。
「モデルがいなくなったって、雑誌の内容はさほど変わらないと思いますがね。終わるわけじゃないのに」

現実味がないんだろ。部外者ほど死を消費して、それに適応できない人間が鈍っているみたいじゃないか。かみさまがいなくなった世界で生きる友人は、もう二度と色彩を知ることもないのに。どうしてそう簡単に死んだって信じて流せるだろう。わたしはとても、信じられない、信じたくない、その死を見てもいないのに。
誰かがいなくなっても変わらず動き続けて、生き続けて、そんな世界を疑うことすらできなくて。誰かのかみさまみたいなひとが死んでも。生きられないって叫びたくても。全部嘘だって思いたくても。

新刊の棚へ戻ると友人はまだそこにいて、わたしを見つけると弱く笑った。嘲笑という感じだった。わたし宛ではなく、きっと友人自身宛の。
「元気だしてよ。彼女は死んだけど、雑誌も、あんたの人生も、終わるわけじゃないんだから」
思っていないよ。試すように明るい声を出してみた。両手の生命線を擦り合わせて、消えてくれないかと切に願う。息を吸って吐くあいだ、友人のまつげは上下して瞳を隠そうとして、まるで点滅信号。シャシャとそっくりな真っ赤のルージュを纏った唇が震えていた。
「終わったよ。もう、この世界にかみさまはいないの」

ーーかみさまは死にました。

独占欲じみたものにより友人の名前は明かさない。わたしのかみさまがその少女だったと自覚したのは、悔しくも彼女が死んでからだった。

テーマ「最後」

宜しければ。