余生を生きる
若いうちから何度も失敗しろとか、
生き急ぐくらいがんばれとか、
早いうちに〇〇しろとか、
俺も若い頃は〜〜だったとか。
いやぁ至極どうでもいい。
仕事は増えてばかりで給料は上がらず、なんなら昇進遠ざかったかも?みたいな感じでちょっと停滞気味な儂。
ここが踏ん張りどころなんだろうけど、実際の所嫌な気持ちが多い。
モチベーションは下がらないように努力した方がいいとイチローが言ってた。気がつけば下がってるような、そんな状況の中だとどうすれば良いのだろうか。
仕事とは、職場の仲間と一緒にやっていくもの。本来はチームプレイだ。
しかし現実は成果を奪い合い、やりたくない仕事を押し付け合う。
引き受けたものはどれも重いが、飄々とこなすからそれは伝わらない。そういう感謝のされ方は嫌だから別に構わない。楽な出世ルートよりは、地道な平凡ルートが性に合ってる。
日本人はゆったりとした時間の過ごし方が好きな民族なはずだ。そもそも激務とか社畜に向いてない。
本来はだらぁってしながら花を眺めたり、趣を感じて団子を食べてみたりして時を過ごすのが合ってる。
かくいう儂は久しぶりに休暇を取って朝から川沿いのテラスでブランチを食べ、食後のコーヒーを散歩しながら飲み、タバコに耽るという至高のモーニングを過ごした。
そう。これがいい。これが余生というもの。
趣味程度に頭を凝らして生活費を稼ぎ、あとは時間の経過を楽しむ。死ぬまでの時間をゆらゆらと楽しむのが人生で、それこそが生まれて始まる余生なわけで。
始まったら止まれないし逆戻りもできない。ただただ終わりに向かっていくだけ。それまでの余生をどう過ごすのかなんて、好きにしていいでしょう?
縁側で茶でも飲みながら、季節の移ろいを感じて、身体が朽ち果てるのを楽しみ、死ぬときには「良い余生だった」なんてジョークを吐きたい。