"やさしさ"の代償
「あんたは優しいからなぁ」「お前ええやつやもんな」「育ちがええんやね」「やさしすぎますよ」なんてお言葉を今まで言われてきた.
ごめん,そんな風に思って話してない
これが本音です.もちろん,本気でその人に向き合って話す時は色々と考えて話すけど,多くの場合は上記が本音でそれ以上でも以下でもないです.
なんでそんなことを言われるんだろう,なんてことを考えたこともあります.経験則上,自覚している理由があるとすれば,
相手の言い分を責めない,感情的にならない,それとなく相槌を打ってフォローできうる一言を添えておく.
これを誰にでもしてしまうからなんだと思ってます.
誰の味方にも誰のチームにも属したくないし,できるなら誰かと誰かの小さなごたごたに巻き込まれたくもないから無関心で受け止めます.表情はきっと相手の求める"それ"になっている気がするので,みんな色々と話してくれて「優しいね」なんて言葉が出てくるんだろうね.
お陰様で,というのは変な表現ですが,「友達が多い」という印象を持たれる人が多いんだそう.これもよく言われます.けどそれも違う気がする.
それを"やさしさ"と呼ぶのならば,私はきっと"やさしい人間"なのでしょう.
気がついたら感情的になるということができなくなった.腹の底から笑うことも,感情に身を任せて涙を流すことも,心が満たされるような嬉しさも,心から許せなくなるような怒りもない.
あるのは無色透明の何かとそれを入れる器だけ.何色にも染まっては変わるその器は,僕を何者にも変えてくれる.道化と思われてもおかしくない.会う人の数だけ色は手に入れられる.
これが"やさしさ"の代償なのであれば,こんなものを早く捨てて,感情で生きる人間になりたいと,そう願ってやまない.
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