徒然と月を眺めながら

久々に満月を見上げた

薄っすらと靄がかかった冬と春の間の夜

夜更けの月は右側で沈みそうだったけど

光は建物の影をはっきり映し

掌がビルに大きく写っていた


風もなく、車もいない

静かな凪の月夜


朝日が昇る頃には月は沈んでいたのだろうか

太陽と月の眩い光に挟まれて消えたいと願った


人生の中であと何度、こんな夜を過ごせるのだろうか


===


少し温暖な気候になった。花粉症に嘆く人を横目にマスクを外して歩いている。もちろん花粉症だけど、症状は気にならないくらい軽い。
それよりも、この春の訪れや、まだひんやりする風を堪能したかったのだ。周囲との距離は保って気軽なステップで歩く。電車に乗らなくなった代わりに、外の空気を全身で浴びることのありがたみを噛み締めている。
歩道の街路樹にはふっくら蕾がついていた。もうすぐ春だ。「お先に」と言わんばかりに梅が咲き誇っている。青空と深いピンクが良いバランスで景色を彩っている。

歩けばいろんなものが見えてくる。そういえば至る所に防犯カメラが付いている。たまにそれっぽい偽物もある。安心して生活できる反面、監視社会という言葉を意識する人はどの程度いるのだろうか。そういえば昨日、新宿でそんな街頭演説をやっている人たちがいた。老若男女いた。彼らは同志を集めたかったのか、ただ共感してほしかったのか、、、。よくわからないまま喫煙所に向かい、イヤホンから穏やかな音楽を流しながら、囲いに覆われた狭い空間でみんな空を見上げながら煙草を堪能していた。
喫煙所ではみんなマスクはずらす。素顔が見える場所で、みんな思い思いの銘柄を堪能する。ここが最後の桃源郷なのだ。

ネットで繋がれ、マスクで遮断された世界で生きてそろそろ1年か。人と人の絆みたいなものが希薄に感じつつ、一人で生きている気持ちが強くなっている。一方ではネットの中ではこのペンネームで独立した人格みたいなものが形成されてきた。どっちが本当の世界で、どっちを大事にしたいのか。そんなことすらわからなくなる時がある。そもそも今生きてるところって本当の世界なのか?なんてことも考える。別に病んでない、ふと考えるような時ってたまにあるよね。

ついつい隣の芝を覗こうとしてしまう時もあるし、誰かと無性に話したい時もあるけど、適任者がいないからいつも適当に見繕ってしまった。遂には「この人と会いたい/酒を酌み交わしたい」なんて思うことなくなってしまった。いつだって1人が心地よくてたまらない。誰かに何か話してしまうとついつい愚痴っぽくなってしまう。愚痴は嫌いだ。何も解決しないのに、話さないと気が収まらない。でもって誰かの悪口を言ってしまった気持ちになり、後で必ず申し訳なくなり後悔する。
人への悪口は回りまわって自分へ返ってくる、と思って生きているから後悔してしまう。だから、つい話してしまう時は「仕方ないそんな時もある。あんたにしては珍しいね。」みたいな感じで接してもらえると、少し心持ちが軽くなる。

情報の濁流の中で舵取りに戸惑うこともあるけど、私は私だ。誰かが何かを言おうと、傷つけてこようとしても傷ついてなんかやるもんか。

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いつかやりたいことがある

けれど、いつになるかはわからないし

やらないかもしれない

気が向いたら、くらいの軽さでふんわりしている

有言実行でも不言実行でもないし

自分への約束なんてもので将来を縛りたくないから

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urara
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